August 20, 2020

日本海

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昨日から冬型が強くなったようで夜は寒かった、西高東低の気圧配置になってくるといよいよ日本海にシーズンになる、ここんところの情報見てても良い波の多くは日本海沿岸だ、たしか70年代の後半から日本海へ通うようになった、当時はKIKIの民雄の車で岐阜へ行き、永井やら和田くんを乗せて行ったもんだ。その頃はまだレギュラーが最高の和田や、ヨコハマが良かった頃であのあたりをグルグル回って良いポイントを探しだしていた。車から岸まで雪をかきわけながら歩いたこともある。一枚目は85年のレインボー,2枚目も多分その頃のロックダンス。当時のロックダンスはまだ船を持ったおじいさんが元気だったころで、朝一の仕事はそのおじいさんを起こして船を出してもらうことだった。たしか一人往復で500円払ってたかな、それが結構孫へのプレゼント用に役立ったようでいつも無理を聞いてもらってたんだけど、何時の頃か続けて沈した時があってそれ以来家族に止められたみたい。それ以降ショートの頃はあそこを延々と歩いていたし、ロングになってからはパドルで20分以上頑張ってた。そうそう、遠い鳥取にも何度か楽しい遠征させてもらったね。急にこんな事を思い出したのは、もう今シーズンからは日本海も止めようと思い立ったから。数年前のこの雪山を最後にスノーボードも止めた、それもこれも何とかこれからもサーフィンを続けて行くために決めたこと。日本海も大好きだったけど、もう無理はしないことにする。還暦で生まれ変わってからもう4年、出来れば何とか70まではやって行こうと思ったたんだけど、最近の石原元帥の元気さを見るにつれ、これじゃいかんと思い始め、もっと目標を伸ばそうと思ってる、とりあえずは後10年現役で出来るように節制しながらやってくつもりなんで皆さんよろしくね。

November 14, 2012

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July 31, 2020

南秀史郎

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何年か前に続いて今回の大会にわざわざカリフォルニアから参戦してくれたのが、日本人で唯一あのマーべリックにアタックを続けている南秀史郎!たしか前の時は波が小さくて苦戦したようだけど、今回の荒れ具合は何ともなかったようで見事アンコマンを抑えてロイヤルクラスで優勝をされました。会場で聞いたマーべリックの話は、聞いてるだけでも恐ろしい事ばかり、40フィートのうねりにパドルで挑戦って一体どんな人間なんやろうかとまじまじ顔を見つめてはみたものの・・・当然ながら普通のお方、っていうか普通よりも一段と柔和なお顔でしたよ。マーべリックで後に続く日本人の若手を待ってるそうなんでぜひ次世代の若者には挑戦して頂きたいもんです。私は話を聞けただけで満足でした。わざわざの来日ありがとう!優勝おめでとう!   南秀史郎インタビュー

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July 28, 2020

8月26日(日曜日)午前6時48分伊良湖先端

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連荘の最終日となった26日日曜日は北村さんの予定に合わせて日の出前から大あさりポイントのアウトへ出陣、撮影が5時過ぎから7時半まで限定だったんで、それに合わせて何とかライディングしようと思ってはいたんだけど、気が付いたら強烈な逆光でビーチがまったく見えず、またしても北村さんがいるのかどうか、カメラの位置もまったく確認出来ず、どうなっているのか不安満載。し・・・・しかし次の日には北村さんからこんなに素晴らしい一枚が届きました。まあまあのサイズで苦手なバックハンドのサーフィンながらこの一枚は誠にありがたいです。自分で見てもこれならほぼ満点、ポジションも良いし、目線・手の動きもパーフェクト、僕のバックサイドとしてはこれ以上の瞬間は無いと思います。たしかこの日の北村さんは予定が詰まっていて早朝から深夜まで撮影だったはずですが、朝一でこのような一枚を撮って頂けたことに感謝いたします、家宝にさせて頂きます。次回はぜひレギュラーでもお願いいたします。   撮影 北村 守

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July 27, 2020

マイケルサーフショップ

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昨日湘南へ行ったのはTEDさんの奥様の古稀のお祝いと、TEDサーフショツプ50周年パーティーの為でしたが、今回はもうひとつマイク柳田さんにお会いするのが目的でした。中央が奥様の百合子さん、右がマイクさん、実は昨日も書いたけど1968年に初めてサーフィンを七里でやった時のボードがTEDでした、何も知らない三人が一本のロングボードを抱えて海パン姿、回りのサーファーはウェツト着てたからちょうど今頃かもう少し後かな、なんせワックス知らなかったし、七里にリーフが有ることも知らないんだから今考えたら恥ずかしい話し、結局ろくに乗れないうちにボードがリーフにヒットしてスケッグ折れちゃって終了。東京に戻ってから情報を集めワックスが必要だと判明したものの、さてどこに売ってるのかまったく判らない、そのうち誰かが銀座にサーフショツプってのがあるらしいと聞いてきて探しに行って、たしか西銀座?だったかなぁ新幹線の下にあるアーケードに有ったのがマイケルサーフショツプ!そこのオーナーがマイク柳田さんだったのだ。もう45,6年も前の話しだけど名古屋にいるとその後の情報もショツプを知ってる人も殆どいなくて中々当時の事を思い出せずにいた、それが昨日TEDさんに紹介してもらい本人から当時の話を色々と聞けて大感激ですよ、銀座の店は3年ほどて閉めて青山へ移転したそうでやはり伊良湖のサーファーはあまり行かなかったみたい、ただ驚いたのは兼ちゃんが40年も前に初めてボード買ったのがこの青山のお店だったそうでビックリ。長い間思い出せなかったり疑問だった事が氷解した素晴らしいひとときでした、マイクさんは暫く海から離れていたけど最近また海へ戻ってサーフィンする為に御宿住まいとの事、いつか一緒にサーフィンしようと約束してきました。

先日の「マイケルサーフショップ」を色々と調べていたら「Hamilton Surfboards」のfukudaさん記事を発見した。「1960年代の終わり 確か1968年頃 東京の銀座のはずれ 今のJRの新橋に近い地下に静かなショッピングセンターがあった。お客は外国人観光客が多かった。免税店がたくさんあったからだ。その中にサーフショップがあった。店名は「マイケルサーフショップ」オーナーはマイク柳田というハーフのとっても格好いい人だった。半年くらい前に友人の所で30年ぶりくらいにマイクに会った。僕と同じくらいの年齢なのにいまだに締まった身体をして サーフィンも続けて モデルの仕事もしているという 良い年の取り方をしている人だなぁと うれしかった。当時の東京には私の知る限りサーフショップはTEDとDUCKしかなかったと思うが そんな時 開店した「マイケルサーフショップ」は本当にカッコ良かった。小さな店で店内には数本のサーフボード マリブやテッドにウェストコーストという僕の大好きなサーフボードもあった。鈴木三平氏という湘南のボードメーカーだ。その他 オーナーのマイクがハワイやカルフォルニアで買って来たハングテンのトランクスやホビー ゴードンスミスのTシャツ 新着のサーファーマガジンなど欲しいものばかりが揃っていた。今と違い外国の情報が殆どない時代 マイクが行ったハワイの波やサーファー サーフボードの話や8m/mで撮影してきたマカハやサンセットなどの映像もみせてくれた。僕は週に一回は友人達と通い 湘南の友人とも よくその店で会って波の情報を交換したりした。それから何年か後に区画整理か何かで残念ながらなくなってしまった。とにかくサーファーには居心地の良い素敵な場所だった。 」やはり僕の薄っすらとした記憶とほぼ合致した、そういえばあのアーケードはアメ横みたいな雰囲気もあったし、不思議な空間だった覚えがあるもん。
April 22, 2012

 

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錦吾

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先日のとんぼちゃんに続いて今日もまた懐かしいサーファーに会った、朝のラウンド終えてビーチ歩いてたら誰かが手を振ってたんだけど、なんせ目が悪いんで誰だか判らずに近ずいたら何と錦吾だったよ〜、何年ぶりかな?古いサーファーには懐かしい顔でしょ、たしかその昔、柴賢の後を継いで赤羽根ゴッデスに住み込んで店番やってたはずだよ。最近の若いサーファーはどうなんかよく知らんけど、彼の若い時は凄かった、僕と一緒で小波の似合わないサーファーなんだけど、気が付くとふらっといなくなるの、んでもって暫くすると何事も無かったように海に入ってんだけど、良く聞いてみると海外でサーフィンしてたって言うの、それもハワイとかカリフォルニアとかなんじゃなくて、平気な顔でニアスだったりグラジガンだったりJベイだったりして驚かされたもんだった、こういうのってCoolだよねぇ、それに多分目が悪いせいだと思うけど毎回メチャクチャにエグイとこからテイクオフして突っ込んでた、まったくのサーフィン馬鹿って感じやった、いやはや懐かしいわぁ、今日は残念ながらすれ違いで彼のサーフィン見てないんだけど、そう簡単に変わるわけないから、きっと良い波にチャージしてたと思うな、ここ見てるそうだからまた今度ゆっくり昔話しようね。

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July 16, 2020

NSA

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まだ自宅に自分の部屋があった頃はそれまでのトロフィーとか賞状とかが飾ってあったんだけど、子供が大きくなってきて部屋を明け渡す時に全部捨てちゃった、古い時代のトロフィーって結構かさ張るし邪魔なんだよねぇ、でもさすがにこれだけは捨てられなかった、気が着いたらまだ写真が撮ってなかったんで記録に残すために撮影してみました。こうして振り返ってみるとショートの時代のピークは1987年だったんだなぁ、あの浜松での全日本はまったく本命で負ける気なんかこれっぽっちもない絶好調、まるで今年のILCみたいな感じだったのに情けないボンミスで自滅してしまった。それ以降海へのテンションが一気に下がってしまい、折しもバブル到来で仕事がとんでもない事になり初めていたんで少し海から離れてしまってゴルフにのめりこんでしまったのだ。あの87年にもしも・・・・・だったらその後のサーフィン人生はまったく違ったものになっていたはず、人生なんて判らんもんだわ。

 

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July 10, 2020

ノースショア 1980

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この1980年に僕は初めてノースショアへ向かった、サーファーなら誰でも同じ感動を覚えているはずだけど、パイナップル畑を抜け下り坂から初めて見たノースのラインアップに感動してしまった。入ったのはハレイワ・チャンズ・ラニアケア・バックドアだったけど、1人であちこちウロウロして、左から見ただけのパイプライン・なぎのワイメア、当時はまだ健在だったハレイワシアター。

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July 08, 2020

ロコポイントの看板

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先週ロコポイントのサークルに真新しい看板が立ちました、「離岸流」キケンと地震・津波発生時の避難場所を明示した看板です、台風でクローズした今のような状況でも海に入るサーファーや一般遊泳者が後を絶ちません、私としてはサーフィンはあくまで自己責任でするものと思っているので、海に入るサーファーを引き留める気はありませんが、こうして公にされた情報すら把握できないサーファーに入られるのは迷惑です、もし事故を起こしてしまうと大勢の方々に迷惑をかける結果になります、海は決して優しい時ばかりではありません、それは津波を見れば判るはず、どうかくれぐれもしっかりと自分の責任において入る時点でしっかりした現状把握と自己技量把握をお願いします、流されてからでは遅いんですよ。

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July 06, 2020

1981 HAWAII

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他の写真を探してたら偶然出てきたこの写真、まったく記憶にありませんでした。これ顔が焼けてるからきっと帰国する時の空港かね?向かって前列右が茂紀くん、後列で真ん中が私、左がミチヤ、右端でカメラ目線外してしかとしてんのがCARLOSですがな、よくよく見ると私のアロハは何とキッコーマン柄じゃんか。

2011.4.10

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July 03, 2020

Captain

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80年代のBALIへ行く度お世話になったのがこんな感じの船長さん、近場じゃクタリーフやエアポートリーフ・エアポートライトへ何度も通ってた、そんな時は送ってもらった時に帰りの時間を伝えてまた迎えに来てもらってた、忘れちゃったけど料金はタダみたいなもんやった。時には貸し切りで遠出してバランガンやビギンまで行ってポイントで待っててもらった、一番遠かったのはウルワツまで行った時かな、ただこの船長さん怖がりやからブレイクから相当離れた所に錨を下ろすもんだからピークまでが遠くて参った、でも一日中黙って待っててくれたし、Tシャツ1枚で喜んでくれたし、まあ良い時代に行けて幸せだったなぁ。

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