November 09, 2009

LOKO POINT

Tarzanaa


現在皆がお世話になっているロコポイントの名称は70年代初頭にターザンが付けたものでした。彼のサーフショップ「LOKO」から取ったものだと思われます、当時はロングビーチにゴッデスを中心としたグーフィーフッターが、ロコポイントのはロコを中心にしたレギュラーフッターが集まることが多かったんです。そしてゴッデスはロングビーチ寄りに、ロコは赤羽根食堂のところにそれぞれショップがあり双方に分かれてサーファーが集まっていたもんでした。昨日はそのロコポイントの名付け親であるターザンに久しぶりに会うことが出来ました。二人共前回何時会ったのが思い出せないくらい久しぶり、多分25年以上会っていなかったはずなんだけど一目見てそのまま昔に戻ってしまった、色々と彼の噂も聞いてはいたけど会ってみたらまったく昔と変わらず良い男で一安心。昔のロコポイントは車を停めるスペースもほとんど無く、しかも波は半端ないパワーのある波で今とはまったく大違い、良く堤防のテトラに吸い込まれたサーファーが亡くなったもんでした、現在のロコポイントの状況を話したけどまったく彼には想像も出来ないような激変なのできっと理解できなかったと思う、今回は時間がなくて無理だったけどいつか必ずまたロコポイントに戻ってきてもらいたいと願ってます。どうですこのマウンテンとの2ショット!

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June 05, 2008

今村輝敏

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先日湘南からGODDESSの鈴木正さんをお迎えし、名古屋で最初にサーフショップをオープンされた今村輝敏(通称テルさん)さんを囲んで旧名古屋GODDESSのメンバーが集結いたしました。名古屋というより伊良湖エリアで始めてのサーフショップとなった名古屋御器所「ジェイビス」創立の今村さんには何とか一度お会いしたくて何度も安部公司を通じてコンタクトをしましたが、シャイな方で中々今迄お会いできませんでした。今回はぜひ昔話をお聞きしたいと頑張ったのですが、なんせ40年以上前のことなので正確な年代等が判りません。今村さんがサーフィンを始めたのは恐らく鈴木光彦さんと同じ年代と思われます。つまり1966年頃今村さんが湘南GODDESSへ行き鈴木さんからボードを買った事から始まったそうです。当時は伊良湖にサーファーもほとんどおらず今村さんが光彦さんを知ったのはほんの偶然、恋路が浜でサーフィンしている時に光彦さんがサーフボードを積んだ車で現れそれで自然と知り合いになったんだそうです。その後光彦さんはTEDでサーフボードを仕入れたのですがショップは作らず、自宅に置いて友人達に販売していたようですが、今村さんは鈴木さんと組んでGODDESSを中心とした商品で1969年に「ジェイビス」をオープンし、これこそが名古屋初のサーフショップとなりました。この頃からショップの大会は開催されており、何と安部公司や東谷敏弘等が入賞の常連だったそうです。このショップはやがて八事の「名古屋GODDESS」へと発展して行く事となります。写真は左がGODDESS鈴木正氏、右がジェイビス今村輝敏氏。

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May 30, 2008

名古屋初のサーフショップ

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創世記の伊良湖にこの方は欠かせない、僕がお世話になったのも「名古屋GODDESS」だし、赤羽根にあった「GODDESS」でも何度も遊ばせてもらった。日本を代表するサーフボードメーカーGODDESSのシェーパー兼社長の鈴木正氏は1971年の全日本と前後して伊良湖へ訪れるようになり、その後GODDESS全盛期を迎えることになる。名古屋で初めて出来たサーフショップは「ジェイビス」と言われているが、ここが後に「名古屋ゴッデス」となったようだ。この「ジェイビス」を設立した今村さんと鈴木さんとは関係が深かったそうで現在でも交流があるとのこと。実は今日そのGODDESS鈴木正さんが久々に名古屋へ来ることになり、今村さん始め当時のGODDESSメンバーも集まることになりました、きっと全員が濃い方々なのでインタビューする時間が取れるかどうか心配ですがまたとない機会なのでぜひ60~70年代の伊良湖のお話を聞きだしたいと思っております。

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May 13, 2008

TED SURFBOARD

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今回の千葉遠征でTEDさんのお店に伺った時、伊良湖に関係する素晴らしい写真を見せて頂きました。さっそく無理をお願いして「IRAKO CLASSIC」への掲載許可を頂きました。この写真は1968年にTEDで完成した最新型のサーフボードを東京神田の芳林公園で撮影した後、同じく神田にあったTEDさんのショップへ名古屋からブルーバードの乗って仕入れにきたロッキーの鈴木光彦さんともう一人がショップ前で記念撮影したものだそうです。まだロングボード全盛の68年にこんな先進的なボードが出来ていたことも驚きですし、それを手に入れたのが伊良湖のサーファーだったことにも驚かされます。結局この時鈴木さんは現金でショップにあったボードのほとんどを買って帰ったんだそうです、恐るべし伊良湖のサーファー物語。資料をこころよく提供して頂きました阿出川輝雄さんに心より感謝いたします。  撮影 阿出川輝雄

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February 21, 2008

第3回O.S.A.ウエストジャパンサーフィンプロコンテスト

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1978年9月、伊勢国府のメインビーチでは会長ヘンリー祝率いるO.S.A.(大阪サーフィン連盟)の大会が開催され、伊良湖からは名古屋地区トライアルを勝ち抜いてきた名古屋ゴッデスのパンダこと浜国康、ウエーブラインプロダクツの石塚義雄、豊橋ワールドサーフ見田裕康、そしてこの写真エビンサーフショップの日比野雅康、以上の4名がエントリーしている。結果は1位小林正明、2位金山吉秀、3位山崎市郎。伊良湖勢では浜国康の10位が光っている。

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February 19, 2008

J.S.O

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1975年に発行されたJ.S.OパンフレットにはJ.S.O公認プロショップのリストがある。当時サーフィンのプロになるためにはこれらのJ.S.O公認プロショップを通じてプロコンテストに出場し、上位12位までに入るとプロとして公認されたそうだ。この公認プロショップとして地元名古屋では「名古屋ゴーデス」「エビン」の2店舗が入っている。「LOKO」が入っていないのはどうしたんだろうか?。尚このパンフレットの裏表紙には「GODDESS」の一面広告になっているが当時日本語では「ゴーデス」と表記していたようだ。

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February 16, 2008

J.S.O

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パンフレットの何処を探しても発行日時が書かれていないが、第1回J.S.Oジャパンプロサーフィンコンテストとあるので恐らく1975年のものだと思われる。不思議なことにここへ寄稿している3人はくしくも現在NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブでご一緒している、高橋太郎・鈴木正・テット阿出川の方々だった、この文章は改めて後日アップします。この1975年発足時点でのJ.S.O公認プロは以下の22名であった。
1、川井幹雄 2、吉田正 3、鈴木三平 4、鈴木正 5、小川秀行 6、井坂啓美 7、長沼一人 8、出川三千男 9、小林正明 10、青田琢二 11、山崎市郎 12、小室マリ子 13、飯尾進 14、石塚義雄 15、上杉俊二 16、善家誠 17、ヘンリー祝 18、添田博道 19、抱井保徳 20、岡野教彦 21、ジョージ藤沢 22、小室正則
またJ.S.O公認ジャッジは以下の35名
阿出川輝雄・君塚房治朗・鈴木正・吉田正・高橋太郎・大谷正一・小林秀行・川井幹雄・出川三千男・進士里可・長沼一人・井坂啓美・荻野恭英・鈴木捷吾・宇佐美潤・ヘンリー祝・大沼虎夫・石塚義雄・鈴木三平・鈴木輝敏・大橋和夫・梶原英一・鈴木泰彦・尾代邦男・上田俊彦・大川朝男・高橋和夫・阪野益治・星泰雄・高橋節・高坂和彦・和泉利明・山崎市郎・井上テルヤ・佐藤義雄
伊良湖からは公認プロとして「石塚義雄」、公認ジャッジとして「阪野益治」が参加していた。

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February 15, 2008

第13回全日本サーフィン選手権大会

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あざらしくんからお借りした第13回全日本サーフィン選手権大会のパンフレットです。会場は千葉の部原海岸でした。このパンフレットは大型で8ページあるのですが、その半分以上がプロ問題で埋まっています、せっかくのアマチュア全日本なのにこの頃は色々とプロ創世記の物語があったようです。この大会に地元愛知から出場したのはMENの内藤直樹、SENIORの鈴木光彦、WOMENの中島嘉子の3名でした。記事に伊良湖に関することは書かれていないのでここまでにします。

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February 14, 2008

資料到着

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今回「IRAKO CLASSIC」に書き込む時代が延びたために改めてあざらしくんから資料をお借りしました。もう一度どうしてもチェックしたかった1971年の赤羽根で開催された全日本のパンフレット。恐らく1975年と思われる「第1回J.S.O.ジャパンプロサーフィンコンテスト」のパンフレット。1978年第13回全日本のパンフレット。70年代のサーフマガジン。どれも貴重なものでこれから順次ご紹介していくつもりです。ただ手前にあるSWがA4なのに比べてどれも大判サイズなのが妙に感じますし、このサイズは私のスキャナーに入りきらないので困ってます。それと発行された年が入っていないものが多く、これも逆に凄いことかと。

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January 25, 2008

港76

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当時の写真はほとんどがロングビーチ、ロコや港の写真を探すのは難しかった。これはその珍しい「港」ポイントでの写真。残念ながら後に建物が無い為どの位置なのか特定はできない。しかし76年時点ですでにボルトのボードに乗っていたとは、ちょっと認識を改めないといけないかもしれない。

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ロングビーチ76

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1976年のロングビーチ、駐車場の山側です。後にはEVINの車、メンバーも皆エビンチームです。上段左から、ヒロシ、兄さん、ヒチ、松っあん、下段左が清水。30年以上も前の写真なのに皆あまり今と変わっていないような気がするのは私だけ?

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ロングビーチ75

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以前ロコポイントの貴重な写真をお借りした清水義博さんからは他にも多くの写真を頂いておりました。しかしそのほとんどが1973年以降のものであったため当初の「IRAKO CLASSIC」では取り上げることができませんでした。今回79年まで延びたので改めて貴重な写真を公開させて頂きます。今では写真に日付を入れるようになっていますが、このシステムが出来る前のこの頃は写真に現像された年度が入っているので時代の確定に役立って助かります。この写真は1975年のロングビーチ、まったく舗装されていない駐車場や低い堤防、それに山の上には綺麗な弥八ホテルが見えます。車は当時から定番だった「HIACE」ボードデザインも70年代ですね。

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January 24, 2008

映画会

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家庭用ビデオが一般的になるまではサーフィンの映像を見る方法はただ2つ、貴重なフィルムを使って8mmで撮影し、暗い部屋で楽しむか、各地を巡回してくるサーフィン映画を見るしかなかった。中でもサーフィン映画は当然内容も新鮮で画面も大きいので迫力があり毎回始まる前から大騒ぎだった。まあサーファーの乗りが良いのは今も昔も変わらない。名古屋では鶴舞の勤労会館が多かった。1976年、タイトルは不明だがEVIN主催の映画会に何とゲストで登場したのは「ジェリー・ロペス」「リノ・アベリラ」「ロリー・ラッセル」という大物3名、今じゃ考えられないことが当時は起こっていたのだ、これはその時のサイン。

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Michel Junod

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私の記憶では「ミッシェル・ジュノンド」だったような、79年当時LOKOに滞在していたシェーパーで伊良湖にも顔を出していて、よく話していた、ディスコで酔った勢いか、ビッウエーブ用のボードを上げるよと言われたがそれっきりだよ。ターザンが元気で活躍してた頃のお話しです。

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70年代のサーフショップ

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名古屋で一番最初のショップは今村さんのお店だと思う、会長はその直後かな、また初期の段階で湘南から来た香取さんが豊橋の愛大の前で「サビーネ」というショップを出していたが、残念ながら閉店も早かった。そして前出の「GODDESS」「LOKO」「EVIN」「BELLS」が良く広告にも顔を出し活躍していた。また見田くんが店長だった「WORLD SURF TAKI」もこの頃だ。そんな中サーフィンワールド1978年には豊橋から「ORENGESUNSHINE」が登場する。板倉トンボちゃんのお店でたしかメインボードはドミンゴだった、彼は今でも現役で海へ来ている。1979年には名古屋「KIKI」がBOLTの代理店として登場、当然メインはボルトだった、オーナーの沖民雄は残念ながら現在海から離れてしまった。また当時岐阜には岐阜GODDESSとLEG岐阜があったはず、また77年には常滑に「パイナップルジュース」もオープン。三河では「知多ラング」がこの頃だ。79年のポパイを見ると当時すでに
10軒程のサーフショップがあったとされているので他にご存知の方はぜひご一報を。

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January 23, 2008

投稿写真

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1979年のサーフマガジンに読者から投稿された写真です。


PHOTO:山田勝彦
PLACE:赤羽根ロコポイント
DATE:2月25日
RIDER:森雅博

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SESSION

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70年代後半に私が使っていたウエットスーツがこの「SESSION」でした。たしか工場が名古屋近郊だったはずで社長にも会ったことがあります。このカラーの部分が特徴的でなんて言ったら良いのかな、今のジャージとは違い、起毛という感じで特徴のある生地だった、ロゴも懐かしい。名古屋ではKIKIが取り扱っていました。

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GODDESS

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1977年に使われたGODDESSの一ページ広告には伊良湖から石塚義雄が登場する、真ん中は抱井。義雄くんが着ているウエットは当時まさに大流行したオレンジとイエローのツートンカラー。この色はたしかMRもバテンスも着ていたし、抱井もお似合いだった。今の地味なウエットからは想像もつかないが実は私もこの後SESSIONで同じ色を真似して作っていました。

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January 22, 2008

第4回西日本サーフィン選手権大会

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1974年の第2回に引き続き、1977年9月に再び伊良湖で第4回西日本サーフィン選手権大会が開催された、その結果は。

1位 石塚義雄(名古屋)
2位 見田裕康(豊橋)
3位 田畑克彦(三重)
4位 阪野益治(名古屋)
5位 浜 国康(名古屋)
6位 村瀬勝宏(三重)
三重勢のワハ・エヘを押さえて名古屋勢の圧勝結果となっている、初登場の浜国康とは「パンダ」のことだ。写真は優勝の石塚(右)と2位の見田。

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名古屋のショップ

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失礼しました、先ほど紹介した3軒に加え1976年のサーフィンワールドには「BELLS」の広告が掲載されていました。この「IRAKO CLASSIC」を書くにあたりBELLSの吉川くんからもぜひ70年代をと勧めてもらっていたのですが、なかなか取材の機会がなくてまだフランちゃんにはお会いしておりません、いずれインタビューしてBELLSの歴史にも触れたいと思っております。

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第14回全日本サーフィン大会愛知支部予選

1979年5月20日にロングビーチで行われた愛知支部予選結果
ジュニア
1、進 昭浩
2、高橋英二
メン
1、内藤直樹
2、杉浦 仁
3、角谷龍夫
4、松井輝夫
5、森 昇
6、加藤泰伸
シニア
1、角谷 晃
2、武藤恒志
3、鈴木光彦
当時の資料はなかなか見つからない中、70年代には珍しく残っていた。

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名古屋のショップ

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1976年のサーフィンワールドに掲載された名古屋のサーフショップはわずかに3軒である。石塚義雄の「GODDESS」、阪野益治の「LOKO」、日比野健一の「EVIN」でった。「GODDESS」は当時既に「WaveLine」の名称も使っていたようだ。「EVIN」では弟のマーボーがモデルになっているが、後の2軒はオーナーがそのままモデルになっている。特にここではまるでマカロニウエスタンのような雰囲気で登場のターザンがまさに彼の雰囲気が伝わってきて懐かしい。また「LOKO」の広告に「伊良湖店有り」と書かれているのは今は閉店してしまったがロコポイントの東入り口にあった「赤羽根食堂」の敷地内にあったショップのこと。

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SAMURAI

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1976年「ゴッデスインターナショナル」の広告、当時は名古屋と岐阜、それに赤羽根にゴッデスがあり、ロングビーチでは大多数がゴッデス&SAMURAIウエットスーツのサーファーで占められていた。現在でも活躍中の鈴木兄弟を初め、これを見るとジョージ藤沢や長沼一仁までがライダーであったことが判る。恥ずかしながら当時は私もゴッデスのボードにSAMURAIウエットスーツであったのです。

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8mm

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1976・77年頃のサーフィン雑誌を見ていると、サーフショップやウエットの広告にまじって8mm機器の大きな一面広告が目に付く。当時は当然ながらまだビデオは無く、サーフィンの映像を撮る手段は8mmカメラに限られていた。しかし当時特に望遠の付いた8mmは機械が高価である上にフィルムや現像も高く、しかも録画時間が短くてなかなか手が出せるようなものではなかった。当時8mmを持っていたのはまさに「お坊ちゃん」またはショップで、撮影のある日は興奮して大変だったし、現像が出来上がって映写する時も部屋を真っ暗にしてサーフミュージックをガンガンに掛け、興奮しながら見入ったものだった。今では小さなデジカメにさえ動画録画しかも望遠付きで簡単に撮れるようになりまさに8mmは夢・幻となってしまった。たしか8mmからビデオへの転換期でも8mmフィルムをビデオテープに移し変えるのが高額だった為になかなか出来ず、そのままにしておいてフィルムが劣化したものも多いはずだ。貴重な多くの映像がどこかに埋もれたまま消えていってしまう運命なのかもしれない。

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January 21, 2008

ロコ&先端

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1979年のSURFMAGAZINEに紹介された時のロコポイントと先端の写真です。当時と比べると特にこの2箇所の変貌の激しさに驚きます。ロコポイントでは堤防が延びた後横にまで伸びてしまい、昔のハードな面影はありません、まさかここに道の駅までが出来るとは誰が予想したでしょう。また先端には灯台へ向って遊歩道が作られ、海中には多くの消波用の石が入れられ、波質も激変してしまいました、しかし今でも東風が吹くと何処からともなむサーファーが集まり、普段会えないサーファー同士の同窓会のようになってしまいます、これもまた時代なのでしょう。

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ランクルの旅

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今でもサーフィンの雑誌に地方ポイントめぐりは欠かせないが、70年代後半の「SURFMAGAZINE」には「ランクルの旅」という人気企画があった。黄色に赤く書名の入ったランクルにプロサーファーとカメラマンが乗り地方に出かけ、その地のサーファーと共にポイント紹介をするというものだった。1979年4月号は、「ランクルの旅/伊良湖、ロコポイントにチューブを求めて」という素晴らしいタイトル。湘南から大野薫プロとカメラマンの芝田満之が来て、こちらでは当時豊橋にあった「WORLD SURF TAKI」の店長をしていた見田裕康が案内人となった。大磯から伊良湖へ移り住んで8年目の見田くんは当時独特なスタイルを持ったサーファーで非常に上手かった。このお店の前は赤羽根のGODDESSにいた時期もある。浜松経由で伊良湖へ入り、伊古部・高塚とチェックした後にロコポイントで入り、撮影された、真冬なので途中雪が降ったりもしたそうだ、しかし旧ロコポイントの堤防と真っ青な空をバックにした水中撮影の一枚はとても美しい。またこの中には見田くんの文章も掲載されているのでそのまま紹介する。
「GOOD BEACH AND GOOD FRIEND」 文:見田裕康
湘南から伊良湖に移って8年、当時はサーファーも少なく波もあり余っていました。下に紹介したポイントの他にも、高塚、サリマノ、赤羽根港など、渥美半島にはまだまだ多くのポイントがあります。私も、年中どこかしらでサーフィンしています。フルスーツはすり切れ、ベストは陽に焼け色あせる程に毎日波乗りをしてきました。その間に、私にはたくさんの友人ができました。最も身近な仲間を紹介しましょう。サンチャンこと杉浦茂義君。彼は、地元の最古参で、豊橋地区及び名古屋方面までも名前が知られています。ライディングはオーソドックス。コーラ屋さんの山本卓一君。彼も地元では古いサーファーの1人です。波乗りも、やわらかく、見ていて大変きれいです。ノーチンこと神谷信博君。ライディングは、神経質でとても変化があり、彼のインサイドからのボトムターンは、我々も教えられる所があります。タメンこと安永和也君。若手サーファーの中で、将来を期待されている1人で、まだライディングに荒削りな面もあるが、若さでカバーしています。このような仲間達が、いつもどこかのポイントで波乗りをしています。今年もシーズンが近づいてきました。伊良湖もそろそろ波がでてきます。1度こちらに来てサーフィンをしてみませんか?また違った波乗りが楽しめると思いますが・・・・・。しかし楽しんだ後のマナーもわすれないで下さい。自分達のサーフビーチが、空カンや紙クズでよごれていたら、サーフィンで楽しくなっても、海岸に上がってきていやな気持ちにさせられることでしょう。そんな気持ちにならないためにも、“キープクリーン・ビーチ”に努めましょう。

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January 19, 2008

観客

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伊良湖で初めて開催されるプロの大会ということで観客の数も多い、特に港ポイントの場合は堤防から見ると選手が間近に見えて迫力があるので観客にとっても素晴らしい大会だった。左の写真では上のアフロヘアーはヒロくん、下の左から二人目のロングヘアーはエビンの兄さんだ。皆さん当然ながら33年前の若い時代。

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堤防

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この当時でも港ではサイズが上がると堤防から飛び込むしかなかった、この大会でもライディングを終えるたびに選手は堤防をボードを持って走ることになる。2枚とも走っているのは優勝した小林正明だが左の写真でカメラを構えているのは何と石塚義雄、ってことは決勝ではないのか。

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サーフボード

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この76年プロサーフィンコンテストには湘南から最新のボードが持ち込まれたはず、手前のボードはまるでガンのようだし、後にいる抱井はまるで正反対の短いスティンガーを使っていた。ライディングと違ってこういう画像もありがたい。

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第2回日本プロサーフィンコンテスト

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1971年に開催された全日本サーフィン選手権は始めて関東から外に出て開催されたということで、これを機に一気に中部や関西でサーフィン熱が高まった。その後1974年にはターザンが主体となって西日本サーフィンチャンピオンシップが開催され伊良湖の名声は全国に広まることになる。そしてついに1976年6月またしても赤羽根港ポイントは素晴らしい波に恵まれて初めてプロの大会が開催されたのだ。JSO「第2回日本プロサーフィンコンテスト」はクローズしたロングビーチから港にその会場を移す、当時あったのは今と違いまだ短い堤防だったが、その堤防の沖でブレイクした波が一端消え、堤防の先端から盛り上がって3~4フィートのブレイクとなり、インサイドにはチューブセクションのある大会としては願ってもないコンデションだった。やはり選手の主流派関東勢で西日本から準決勝に残ったのは地元の石塚義雄と関西のヘンリー祝のゴッテスコンビ、そしてついに地元石塚義雄だけは決勝に進出するという快挙をなしとげた。結果は
1位 小林正明
2位 阿倍川芳夫
3位 添田博道
4位 小川秀之
5位 抱井保徳
6位 石塚義雄
6位入賞を飾った石塚義雄は得意のバックサイドのローラーコースターを決めての快挙で、大会終了後、大松屋の奥座敷では大勢の仲間たちに囲まれて大宴会となったそうだ。
写真は左から石塚義雄、優勝の小林正明・抱井保徳、この頃にはすでに抱井の独特な雰囲気が出ている。

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1978

Animalskin


以前に取り上げた「安部公司」の写真で彼の着ているウエットを「アニマルスキン」と紹介したが、今のサーファーには何のことやら判らないよね、当時ほとんどのサーファーが着ていたタイプで前か後に横一直線にジッパーが付いていて、首の部分を内側に折り曲げるタイプの事なんですよ、何でこんなネーミングになったのかな?とにかく当時のサーファーはビーチで話す分には問題ないんだけど、街中や飲み屋で話してて、「セックスワックス」とか「アニマルスキン」なんて言葉がポンポン飛び交うもんだから一般の人たちからとんでもない連中だと誤解されてたような時代でした、これはまさにそのまんまのイメージですね。

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January 18, 2008

MIG-25

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私が名古屋に戻ってきたのは1973年で、それ以降BOLTに憧れて千種のKIKIに行くまでは八事にあった名古屋ゴッデスに行っていた。これはそれ以前和歌山にいた時に和歌山ゴッデスのお世話になったのと、当時仕事先の従業員が名古屋ゴッデスを知っていたからで、その時初めて義雄くんに会ったことになる。それから数本ゴッデスのTSモデル、つまり鈴木正モデルに乗り、最後にオーダーしたのが忘れもしないこのMIG-25というスティンガーだった。恐らくKIKIが79年なので、このボードに乗ったのは77か78年頃だったはず、当時としては斬新なデザインで非常に調子も良かったボードだ。

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石門

Netsekimon


伊良湖を代表するクラシックポイント「石門」、まるでサーファーをあざ笑うようなショアーブレイクの先には日本とは思えないパワーのある波が待っている。まだGODDESSのミグ21というボードだった頃にここへ入ってテイクオフした時の写真があり、長くサリマノに飾ってあってが残念ながら今は見つからない、使ったボードからみると70年代中頃だと思う。その頃はもう何人か入るようになったいたはず。この写真は1977年3月27日の石門レギュラー、ライダーは当時皆の憧れだった名古屋ゴッデスの石塚義雄、数少ない70年代の石門画像である。

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January 17, 2008

CJSA

Netcjsa

1979年ロングビーチの写真、TSA(東海サーフィン連盟)の前の時代で、CJSA(中部日本サーフィン協会)が作った看板、ターザンが代表だった頃かな。しかし看板の足元には漂流ゴミとは思えない空き缶の山なのが寂しい、当時はまだビーチへも乗り入れも可能だった時代だ。こうして見直してみるとサーファー全体の自覚は相当に向上していると思える。

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シルバーメタ

Netvictory

きっと古いサーファーなら僕がこのシルバーメタリックのウエットを着てた記憶があるはずだ。この広告が出たのが1979年、あまりの衝撃にビックリ仰天、最初の頃の黒いラバーウエットからジャージが出始め、この頃はアニマルスキン全盛期だった中で光物は始めてだった。当時はKIKIだったのでウエットはSESSIONだったんだが、これが格好よくて欲しくなりわざわざ東京まで買いに行った、おかげで伊良湖では僕しか着ていなかったはず。ただ残念ながら予算の関係でベストだlったような気がする、竹本プロはサーフィン始めたのがこの前年で僕のこのウエットを覚えていてくれた。

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後藤公夫

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後藤公夫と言われて判るサーファーは少ないと思うけど「マウンテン」と言われれば誰でも知ってるはず。実は彼の件が当初から大問題だった、なんせ大昔から知ってるんだけど、彼が何時から始めたのかは知らなくて、ロコサーフショップで始めたもんだと思ってた、始めの頃にカズくんに聞いてみたら、やはり同じような答えでたしかロコサーフショップで知り合ったからターザンより後で1974年頃から始めたはずとのこと、このことは「IRAKO CLASSIC」にも書いたが、ご本人にも確認したんだけどご存知の通りシャイな人なんで、「どーやったかなー?忘れたなー?」とか言う答えだったような記憶があった、それで1971年までには入らないものと思っていたのに1974年の西日本のパンフレットに彼のライディングと名前が掲載されたいて、その撮影が1971となっていた、しかもその時点で初心者とは思えないライディングをしておりどう考えても60年代に始めていたように思われ再確認の必要に駆られ電話してしつこく聞いてみた、詳しい年代は覚えていないそうだが間違いなく25歳の時に初めてサーフィンしたそうだ、ターザンの1年前だった気がするとのこと。現在63歳、この年末には64歳になるので昭和19年生まれのはず、そうなると25歳というのは1967年か68年、ターザンが69年なので68年かな?そうなると安部公司や僕と同期ということになる。これぞ新しい発見。当時はまだロングビーチに4~5人しかサーファーがいなかったそうだが、当時からマウンテンはロコや港、堀切で入っていたそうだ、当然サーファーは誰もいなくて一人で入っていた。当時サーフショップは何処にも無く名古屋を探しまわった挙句に矢場町にあったスポーツ店でロングボードを手に入れて始めたとのこと、また新たに歴史が加わった。

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大会日程

「IRAKO CLASSIC」の内容を当初予定していた1971年までというのを延長して1979年まで取り上げることにしたので様々な問題が出てきた。1971年には赤羽根漁港西、今の全日本と呼ばれるポイントで「第6回全日本サーフィン選手権」が開催された、その後すでの取り上げた「西日本サーフィンチャンピオンシップ」が1974年に開催されている、これはパンフレットが残っていたが会場等はまだ取材していない。そして1976年には赤羽根の旧港ポイントで「第2回日本プロサーフィンコンテスト」が開催され、良い波に恵まれて熱戦が繰り広げられた、この様子は発刊間もない「サーフィンワールド」第2巻に掲載されているので後日発表の予定、またありがたいことにこの大会の8mmがエビンの日比野健一の手元に残っており、現在はDVDとなっていて見る事ができる、これも第一級の資料である。またこの大会はJSOというプロ組織によるものだったが、このJSO発足時のパンフレットがあざらしくんの手元に残っていたのでこれも後日発表の予定。今までの取材やインタビューは1971年までに限定していたのでこれから再度やり直す必要が出て来た、また皆さんの協力をお願いすることになるので資料等お持ちのサーファーはぜひご連絡をお願いします。

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January 16, 2008

安部公司

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「IRAKO CLASSIC」のアドバイザーでもある安部公司は以前にもロングビーチ上にある旧公民館前の写真がとても印章深かったが、今回見つかった写真は1975年頃ロングビーチでのものでこれまた一世を風靡した「TOWN & COUNTRY」通称「タウカン」のシングルフィンとアニマルスキンのウエットスーツが泣ける、当時のロングビーチでは堤防が結構高かった記憶がある、アウトにかすかに見えるうねりも美しい。

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プロサーファー

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生涯アマチュアサーファーで行きたいと願う私でも時代が違っていたらプロに憧れていたのかもしれない。現在ではJPSAとASPがそれぞれ国内でプロツアーを行っているがさて、それではこのプロサーファーの始まりは何時だったのだろうか?ここに面白い記事がある「日本にはじめて、正式なプロサーファーの組織できる!」1978年SURFMAGAZINE,「OSA」という関西の組織もあったはずだが全国組織ではなかったので恐らくこのNPSAが全ての始まり、1978年4月29日に酒匂で初のプロトライアルが開催され、6月以降3戦が予定されていた。設立当初の役員は
理事長  川井幹雄
理事   小川秀之  小室正則  長沼一仁  阿部川芳夫  出川三千男  小林正明
名誉プロ 鈴木正  井坂啓美  小室真理子
そして発足時点でのプロサーファーは
A級プロ 青田琢二  善家誠  岡野教彦  添田博道  抱井保徳  藤沢ジョージ
B級プロ 飯尾進  伊東満  上杉俊司  山崎市郎  大野薫  渡辺誠一  由井明  石塚義雄  三橋敬一  祝春樹  磯崎富雄
日本初のプロサーファーの中にただ一人伊良湖の石塚義雄の名前のあるのが嬉しい。


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January 15, 2008

ロペス&リノ

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確か1975年頃だとおもいます。 湘南のマーボーがライトニングボルトのプロモ~ションでロングビーチに
きました、撮影後はレストランサーフィンで皆でランチしたのを覚えてます。真ん中の上はジェリー・ロペスとリノ・アベリラ・・左端が善家誠・・下の段の左から2番目は添田博道(まだ高校生)・・リノの左隣が近藤茂紀くん・・その隣が石塚義雄くん・・ロペスの右二人目がエビンのマーボ~・・、マーボの下が今村さん・・今村さんの右が三田くん(タンクトップ)・・下段の右から2番目はレストランサーフィンの親父さん・・その左横が宮下ヤスくん・・真ん中が私(黄のTシャツ)・・私の左が徳田くん・・徳田くんの、すぐ上が森くん(スーくん)・・下段の左から4番目が東谷敏弘くん・・湘南のマーボーはロペスの下・・その下の女性はマーボーの奥様で真理子さん・・後は思い出せません。。   文 安部公司

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January 14, 2008

勢い

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何事もそうだとおもうけど、始めた当初は大変なことでもある時点から急に勢いがついて上手くいくようになることがある。「IRAKO CLASSIC」でも同じことが起きはじめた、最初の頃は資料集めが大変な事だったのに最近になって勢いがついたのか凄い資料がどんどんと集まり始めた。多くのサーファーが興味を持ってくれて協力してくれるおかげで感謝しています。今回の写真はアドバイザーでもある安部公司からの提供で1972年頃のロングビーチ。何が凄いってこの豪華メンバーでしょう!向かって左から近藤茂紀・安部公司・坂野益次の面々です。真ん中の安部公司は今と変わらないライディングスタイルが既に完成されているしフルスーツの上にトランクスってのが時代を感じる、左の近藤茂紀も体の大きさを感じさせないスムーズなスタイルが素晴らしい。恐らく最初の登場となる右のターザンこと坂野益次のライディングはまさに懐かしい、前乗りの二人を追う目線なんざまさに獲物を狙うターザンそのもののイメージが彷彿としてくる。良き時代の伊良湖を知る第一級の資料である。

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January 13, 2008

石塚義雄

石塚義雄
これもやっと見つけた!名古屋ゴッデスの石塚義雄、ロングビーチ、1977。

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日比野雅康

日比野雅康
これまたレアな写真も見つけた!何ともエビンのマーボーです、1978の伊勢です。

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見田裕康

見田裕康
ついに見つけた!1979のサーフマガジンの伊良湖トリップ、ロコポイントへの案内人は見田くんだった、彼の文もあったので後日アップします。

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70年代

70年代
今日も海をやめたので自宅の本棚をチェックして資料に使うために1970年代のサーフィン雑誌を抜き出した、石井さんのサーフィンワールドが全部残ってたのと別冊写真集も有ったのがありがたい、この中から伊良湖に関する記事や写真を探しだしてみたいが時間かかりそう・・・でも楽しい。

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January 09, 2008

「IRAKO CLASSIC」

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伊良湖でのサーフィンの発祥とその歴史を残しておきたいと思い立ち、資料を集めて2005年に初めて「IRAKO CLASSIC」を発表した。その時点で1966年からスタートしたことが確認は取れたものの、資料はまだ少なく、一番の問題だった1971年に伊良湖で開催された全日本サーフィン選手権の資料もまだなかったのでわずか20頁程のパンフレットでしかなかった。その後多くの方々から協力を頂き、徐々に資料が増えるごとに改訂を重ね、今回の改訂ではついに4版を重ね、おおよそ倍の量になり我ながら感無量。当初は1971年の全日本までで終わる予定だったのが、その後の資料や写真に貴重なものが多く、それらも確信のもてるものだけ掲載することとし、最後が今回の「大松屋食堂」とまり1979年の記事となった。「IRAKO CLASSIC」はこれで1966年~1979年の14年間の資料として充分に活用してもらえることだろう。そんな訳でこれで一旦の区切りにしようと思っています。

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January 08, 2008

1979年大松屋食堂開店

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伊良湖でのサーファーを知り尽くした「大松屋」は順調に業績を伸ばし続け、1979年ついに現在の42号沿いに移転して今と同じ店舗になります。規模も大きくなりこれならいつでも入れると思ったのもつかの間、最近ではTV番組の常連となって知名度が上がり、サーファー以外のお客が格段に増えてしまい、急増するサーファーとも合い待って夏場などは行列の出来る店となり週末は満員御礼、私たちも中々入れてもらえなくなったしまいました。でもお世話になったお店が繁盛するのはとっても気持ちの良いものですよ、これからもよろしくお願いします。

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1976年大松屋

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1976年に大松屋の前に勢揃いしての記念写真は「トヨタ」の面々です。向って右からパンダ・ヤッちゃん・ピース、一人おいて横田・豊田の方々、お店の看板が懐かしい、足元のスケートボード?当時は他の呼び名だったような気もするけどこれもレトロです。パンダは1971年の全日本直後に伊良湖へ来たとのこと、この写真はいかにもの髪型で楽しめるでしょ。

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1975年大松屋

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1975年、大松屋店内で撮影された2枚の写真、当然ですがヤッちゃんお若いですね、よく読めないんだけど当時とはメニュー変わってますかね?最近カレーって有った?テキライスとか肉いためはもうないよねー?手羽も当時はなかったはずだしね、先日この写真を見たオールドサーファーの面々はさかんに懐かしがってました、良い時代でした。ちょうどこの頃が私が名古屋に戻ってきて伊良湖へ通い始めた頃なんです。

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January 07, 2008

弥八

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「大松屋」の開店当時の道路状況、店の前から北向きと南向きそれぞれの写真が見つかりました、当然のように未舗装ですし、南に向う道路は当時有った弥八ホテルまでで海岸には通じていませんでした。この当時のホテルの写真も探しているのですが、どなたかお持ちじゃないでしょうか。

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1967年2月6日

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1966年夏に始まった伊良湖の歴史で何と次の年に忘れられないお店がオープンすることになった。現在伊良湖を訪れるサーファーにとって知らないものはいないというほど有名な「大松屋食堂」が現在の場所から数百メートル南に下がった東側に「大松屋」として開店したのだ。当時はまだサーファーは数えるほどしかいなかったので当然お客の対象となるはずもなく、開店当初は地元の人や釣り人を対象とし、つり船や地引網もやっていたそうだ。何とも懐かしいこの写真はその昭和42年2月6日の開店当日お店の前に立つ大羽晴之・安子ご夫妻です。その後60年代後半から70年代に掛けてサーファーが増え、地の利からロングビーチを利用するサーファーが大勢訪れることになる、つまり当時のGODDESSの面々の登場だ、今回の取材中にも当時のサーファー同士の今では考えられないような凄い闘争の数々や武勇伝を聞かされたがこの話はまた後日?開店以来40年以上に渡り伊良湖のサーフィン史の全てを知るこのお店はまさにサーファーにとっての宝物である。

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November 24, 2007

お願い

「IRAKO CLASSIC」編集中ですが、どうしても欲しいのに見つからない写真があるので探しています。昭和42年現在の大松屋から南に下がり弥八ホテルへ行く途中の右側に「大松屋食堂」が開店し、当初サーファーの姿はほとんど無かったそうですが、1971年の全日本の頃から増え始めたそうで、私も毎年お世話になったもんです。ただどうにも記憶が曖昧で何とか当時の写真を見て思い出したいと思っています、もし当時の写真を持っておられる方がいらっしゃいましたらご一報くださいませ。

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November 19, 2007

BODY GLOVE

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いやはや昨日何がびっくりしたってこんなに驚いたことは無かった。マウンテンとカズくんに再版した「IRAKO CLASSIC」を渡そうとパーティー会場に持ち込んだ。受付でそれを見ながら1年ぶりに会った服部くんと話していたら、何とこの1972年のMALIBUが作った BODY GLOVEの広告写真に自分写っていると言い出し、それどころかまだ他にも今日ここにいるサーファーが写っているから呼ぼうということになった。最後の写真の一番左が広告の左から3番目の「C」、そして真ん中の方が一番左側の「A」右のカズくんが左から2番目の「B」なんだそうだ。左から4番目の「G・F」となっているのがロコのターザン。その右の二人も伊良湖のサーファーだったそうだ。つまりこの広告写真全員が伊良湖のサーファーだったってことが始めて判った、凄いじゃん。

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November 17, 2007

ヨコハマ

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左は1976年のサーフィンワールドに掲載されたロコの広告、ここで使われた写真と同じもので少し時間がずれた写真が見つかった、こちらの方が大きいので良く見えるがターザンの姿がない、てっきり伊良湖での撮影かと思っていたがバックの山や雪の状態からするとここは福井の「ヨコハマ」ポイントではないかと思われる、現在ではテトラが入ってしまい面影も無いが当時は良い波がいつもあった記憶がある。真ん中の裸がハッサン?その右がマウンテンのように見えるが、さてカズくんに確認してみよう。

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November 15, 2007

西日本サーフィンチャンピオンシップ⑬

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裏表紙に掲載された「MALIBU」の広告でどうにも理解できないところがあったんだけど昨日のご指摘でやっと氷解した。「SONSET BY MICKY KAWAI」「SONSET BY TARZAN」とキャプションがあり、まあ綴りはご愛嬌だとおもうけどこの二人ともレギュラーのはずなのにグーフィースタンスで写っているのが理解不能だった、特に「TARZAN」はロコのターザンと思われるのでエッ?と思っていた。昨日のご指摘でこれらの写真は編集時点のミス?で裏焼きされたんではないかと言うこと。これなら波がレギュラーでないことも納得できる、当時このような印刷物の編集はPCのない時代とて様々な原稿が印刷所と行き来していたはずで、きっと写真の指示ミスがあったんでしょう、そんな訳で逆にお宝写真なのかもしれません。

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November 13, 2007

西日本サーフィンチャンピオンシップ⑫

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同じく掲載された広告は「UNCLE」「カリフォルニア・アーマー」「トノクラフト」「D&S」「名鉄セブン」です、この名鉄セブンってのが浮いてるんですが、当時はこの6階レジャースポーツ売り場でサーフィン関連を取り扱っていた模様です、ご存知の方いらっしゃいますでしょうか? さて今回の貴重なパンフレットのご紹介はこれで全てが終了いたしました、あざらしくん毎回本当にありがとうございました。

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑪

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今回のパンフレットに掲載された1ページ広告の3社です。
「MALIBU」「KANVAS BY KATIN」「PIONEER・MOSS」どれも時代を彷彿とさせる素敵な内容でした。

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑩

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中日写真コンテスト特選
48年全日本サーフィン選手権シニア8位
森 秀郎
赤羽根海岸ロコ・ポイント

パンフレットの1ページを使って掲載された写真です、この大会役員にも入っている森秀郎さんに関する情報をお持ちの方ぜひお教え下さい。

追伸:早速マイケルさんから連絡を頂きました、この方は今も九州で現役である「スーくん」でした、名前は何度もお聞きしてましたし、昔先端でお会いしたこともあるんですがこの写真では判りませんでした。さすがです、ありがとう。

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑨

編集後記
私たちのボス、ターザンがカルフォルニアから帰ってきたのが今年3月、すぐに企画を立てたがなにぶんにもターザンは多忙な方ですぐ四国~九州にサーフィンの旅、名古屋を通り過ぎ伊豆七島の新島へ東京都知事杯サーフィン大会に出場。残されたものは何から手をつけて良いやら、帰ってきたと想えば女に狂い、サーファーは放郎性があり女が好きと気いたが、全く御手本のような人だ。原稿を書かせれば普段話しているようなバカなこと書くし、最終的に時計とニラメッコ・・・・。皆様にも御迷惑かけます。

(全て原文のまま)
これ書いたの誰かな~?????

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑧

日本サーフィン連盟からのメッセージ
日本にサ―フィンが入って釆てから今年で15年になります。湘南や千葉でうぶごえをあげた日本のサ―フィンも、ようやく、人に例えれば、赤ちゃんからちょうど少年期に入る頃であろう。今、日本のサ―フィンは成長期だと思う。われわれは、この成長期に当ってなにを成すべべきか。―つには、健全な身体、骨格を、すなわち組織をつくること。もう―つ大切なことは、"健全な精神"すなわち、―般社会生活に充分通用する"人との和"を形成してゆくことではないだろうか。仲間を作り、クラブをつくり、サ―フィンを通じて互いに研精しあう。そして、来たるべき"青年期"―歩―歩頂上に向かって歩むこと。もちろん「少年期」のために起こりがちなさまざまなことが現われているだろうが、いまこそ、みんなが―つの目的のもとに力を出し合う大切な時期なのではないだろうか。
昭和 49年 6月17日
日本サー フ イン連盟

(全て原文のまま)

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑦

1974年 西日本サーフィン選手権大会特別規則
西日本サーフィン選手権大会は名古屋サーフクラブ、ロコ・サーフライダースの主催により行われ、日本サーフィン連盟競技規則に基づき開催される。
主催:名古屋サーフクラブ  ロコ・サーフライダース
オフィシャル:日本サーフィン連盟公認ジャッジ
期日:昭和49年7月23日(土)~7月24日(日)
競技種目:男女ジュニア・メンA1・メンA2・シニア
参加資格:愛知県より西に住んでいるサーファー。
(1)ジュニア 昭和49年7月27日に19才以下であること。
(2)メン    昭和49年7月以前に20才以上であること。
(3)シニア  25才~40才までの男女
参加者は死亡・負傷・サーフボードの損害に対し理由の如何を問わず、その責任は各自が負わなければならない。
役員名 阿出川輝雄・田沼進三・出川三千男・小林正明・善家誠・植田義則・鈴木光彦・伊藤宏之・荻野恭英・祝春樹・進藤英二・森秀郎,石塚義男・川井幹夫・渦尻栄治・鈴木三平・日比野健―・阪野益治

(全て原文のまま)

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑥

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正月サーフインツアーの熱い想い出

「お―ぃ全員いるか?」出発は昭和四十六年十ニ月三十日神戸港である。三十名くらい集まった俺達に人々の目が集まる。なぜならもう酒が入って大きな声で歌っているからだ。「さあ乗船だ」それぞれコート又は手皮を持ち、宮崎力―フェリ―に乗込んだ。すぐ寝る。明日は波が有ると信じて・・・。 十三時間くらい船に乗るともう宮崎の日向港だ。揃えた四台のバスに朝日が光る「いこうぜめ初めは金ケ浜ドライブインポイントだ。日向市街を抜けて(十キロ)しばらく行くと中央と石に岩場のあるビーチタイプのサーフポイントがある。「ワァ―」全員が声を上げた。
なぜならハワイ級のビッグウエーブがあったからだ。6フィ―トから8フィートのレギュラ―ウエーブだ。でも風が悪ぃ。すぐにマウンテン、ターザンが海に?消えて行った。波の和が多すぎる。100メ―トルくらぃまでは簡単に出たが海に向って右の万にどんどん流されてぃる。ターザンが帰って来て、ポイントを替えようなどと話してぃる内に、いつのまにかマウンテンが沖の出しに乗っていた。もう豆粒くらいの大きさになっている。その辺はセットで7フィートから8フィ―トの波がブレイクしている。全員が見守る中でティクオフしようとしているのだ。タメだ板がが短かすぎる。オンショァ―でブレイクする中で、白波で帰って来た。今日は日向灘に低気圧が来ているので金ケ浜ではダメだ。耳川の河口によぃ波があると聞いた。耳川ポイントは金が浜から宮崎方面(5キロ)に向うと僑がある。その下に玉石の海岸があり、テトラポットが突き出てぃる。その先から右に40メ―トルの所にフ ァンタステックな4フィートから5フィートのマシンウエーブがでてぃる。手前がパイプラインになっており時々パイプに入るサ―ファ―が見えた。このポイントのすぐ近くに国民センタ―があり、その近くの民宿美々津で宿をとったが親切で料理がよく、安くて最高の場所だった。皆さんももし日向に行ったら寄って下さ い。翌日宮崎の青島に向けて出発。日向から車で2時間半くらい走り宮崎市街を出るともう青島だ。神社で初参出をしてから近くのサーフポイントを見る。が波が悪ぃ。今度は日南海岸へ向けて走った。20キロくらい南に行くと大きな、港がある。その中央に又々レギュラ―の4フィートから5フィートのロングラインの波がフレイクしてぃる。水は吹いこまれそうな美しい淡ぃブル―である。全員が入ろうとしている時、何か言い争っているサ―ファがいた。裸でできるかできないかである。今は正月であるのに!!2人がトラクスだけで30分くらい波乗して平気な顔して、伊良湖より暖かいなどといってぃる。我クラブ員がバカな子の為、裸の問題が起るのだろう。帰りに金ケ浜に寄ったら3フィートから4フィートのレギュラ―が岩場近くでブレイクしていた。俺達の旅は終った。最高の波と景色が、そして女が………
ロコ・ライタ―ス 名古屋サーフクラブ

(全て原文のまま)
サーファーは今も昔も変わりません・・・・・・ですね。

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西日本サーフィンチャンピオンシップ⑤

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「弥八嶋からの全望」
当時弥八にあったホテルから撮影したものと思われる、印刷が荒いので良く見えないのが残念、今の坂下あたりで良い波がブレイクしているのは判る。

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西日本サーフィンチャンピオンシップ④

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伊良湖のサーフィンスポット
このパンフレットに掲載されたサーフポイントは東から「高塚」「伊古部」「黒潮台」「赤羽根ロングビーチ」「ロコポイント」「赤羽根港」「全日本」となっている、この時点ではすでにサーファーの数は相当に増えており、豊橋にもショップが多くなってきた頃なので実際にはもっと多かったのかもしれない?

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西日本サーフィンチャンピオンシップ③

大会にあたつて
伊良湖のサ―フィンもかれこれ六年になります。初期当時は五・六人の波乗野朗が海岸に居た事を記憶してぃます。毎週日曜日になると飛行機の翼を持ってくるとよく感ちがぃしたものでした。しかしよく見るとそれは幼年の頃に波乗りをした板ごを大きくしたよぅなサ―フィンボ―ドでした。ところが現在そんな頃が思い出せないほどにサ―フィン人口の増加をみました。私達赤羽根町民はこのサ―フィン人口の増加に対してサ―ファへの思ぃやりとして、危険であった海岸への道を安全に通行できるよぅに改造し、駐車場を作りましたが努力のかぃもなく夜間車をとばしたり農作物を盗んだりする人が出ました。でもそれが全部とは思っていません。―部の限られた人達だと思います。反面人命救助、海の清浄などの善行をする人々もいることは忘れていません。赤羽根町では健全で事故のない楽しいサ―フィンを期待し、それに努力しています。なにとぞサ―ファ―の諸君も期待にそうよう健全かつ安全な楽しぃサ―フィンをして下さぃ。
愛知県渥美郡赤羽根 赤羽根観光協会 編集ロコ・サーフショップ

(全て原文のまま)

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西日本サーフィンチャンピオンシップ②

あ い さ つ
第―回西日本サ―フィン選手権大会は好評のぅちに終わり第二回目の大会が本年七月二十セ日、二十八日両日に開催されることになりました。それにつきましては選手及び関係者の皆様の御協力熱く御礼申し上げます。さて私昨年十二月武者修業の為に単身米国に渡りました。ハワイは申すまでもなくサシフランシスコ、ロサンジェルス、サンジェゴなど世界的に有名なビーチを回り、外国のすぐれたポイントに驚かされると共に我ホームビーチの伊良湖のよざも再認識しました。冬には雪も降る伊良湖ですが、そこには都会化されなぃ雰囲気と最高の波があります。私は伊良湖をこよなく愛してます。そして皆様にサ―フィンをして頂きよさを知ってもらぅことが私達クラブの者の願ぃです。最後に本大会に後援下さった赤羽根町をはじめ観光協会大石部落の皆様に心から感謝し今後とも暖かい御支援御願ぃします。
                      日本サ―フィン連盟
愛知県支部長 阪野益冶
(以上全て原文のまま)

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西日本サーフィンチャンピオンシップ①

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1974年
第2回西日本サーフィン選手権大会
1974年 2th WESTJAPAN SORFING CHAMPIONSHIP
愛知県渥美郡赤羽根海岸
昭和49年7月27日(土)7月28日(日)
主催:ロコ・サーフライダース   名古屋サーフクラブ
後援:中部経済新聞社  赤羽根観光協会
協賛:名鉄百貨店  名鉄セブン
取材:中日スポーツ 東海テレビ
(全て原文のまま)

このパンフレットでは様々なことが良く判る、挨拶文の中にこの1974年の時点で「伊良湖のサーフィンもかれこれ六年になります」とある。これは恐らくターザンが始めたのが1968年だったから出た計算なのだと思う。また表紙のデザインにはローマ字で「IRAKO」と書かれている。最近よく聞かれたり話題になっているのだが「伊良湖」ってどう読むのが正しいのか?恐らく正しい発音は「IRAGO」だと思うのだが私が知る限り創世記のサーファー達は皆「IRAKO」と読んでいた、僕の場合GODDESSにいたから石塚義雄にも、また同じレギュラーのせいか仲の良かったターザンこと阪野益治もやはり「IRAKO」と発音していた記憶がある。これはつまり創世記の名古屋のサーファー達が誰も「伊良湖」を正しく読めなかったせいだと思う、まあこういうことも歴史の一面なのではなかろうか。もうひとつ同じような例だが、ロコポイントの名前の由来はターザンがお店の名前から取ったと言われている、それじゃロコサーフショップの由来はというと海外ローカルのことを良くロコと呼んでいたからだとターザンから直接聞いた事がある、しかし・・・それならば本来「LOCAL」なんだから「LOCOSURFSHOP」にするべきだと思うんだけど、これまたターザンがローマ字読みで「LOKO」にしてしまい、そのままになったとのこと、つまりロコポイントはあくまで「LOKOPOINT」なのだ。こういうことは正しいとか間違っているとかのレベルではなく全てはその時点での流れであり、今となっては歴史でありいずれ伝説になってしまうことだと思う。ちなみに先日発見された1979年のPOPEYE伊良湖特集でも「IRAKO」となっていた。

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October 23, 2007

POPEYE④

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「伊良湖がフィールドだ」
名古屋のサーフボーイのフィールドは渥美半島の南端、伊良湖のポイントだ。この辺りは名古屋港に出入りする輸送船がひっきりなしに往来しているところだが、また毎年1~2回は台風が必ず通る台風ロードでもある。その台風シーズンには3~4メートルのビック・スウェルが立つほどなんだ。台風シーズンでなくても、低気圧の接近があれば、かなり中級サーファーには満足のいくスウェルがやってくる。名古屋のみならず西は大阪、神戸、東は静岡あたりのサーファーにはポピュラーなポイントでもあるわけだ。低気圧の接近ともなると、名古屋のサーファーの大移動がはじまる。もちろん伊良湖ポイントを目指してだ。名古屋から東名高速に入り豊川へ、ここで下り国道259号線を南下、伊良湖へ至るわけだ。この道程約120キロが、彼らのコースト・ドライブウェイなのだ。このドライブウェイに乗った瞬間から、名古屋のサーファーのビック・スウェルへの挑戦が始まる。 ( POPEYE 1979.3/25より原文のまま)

注:集合写真の中央がカルロス、その左が僕で右が民雄くん。2枚目が当時一世風靡した「キキバス」ですがなー。3枚目のライディングはセッションのウエット着た僕だね、その奥にいるのはジミーかも?、恐らく撮影は厳寒の2月頃?さすがに伊良湖には波の無い時期で撮影は苦労したんじゃ?


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POPEYE③

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「名古屋サーファーの兄貴」
まだ数少ない名古屋のサーファーのまとめ役、兄貴的存在の人を紹介しよう。奥村裕司さんがその人だ。サーフィンの10年選手。1年前より始めたスナック<パンプキン・パイ>には、毎夜サーファーが押しかけて、クラブハウスのようである。というのも、奥村さん、店に集まるサーファーと伊良湖へ出かけるとき必ず8ミリを持って行く。そして全員のライディングを撮影。店でこのフィルムを見ながら仲間と勉強会を行っていること。それに店のメニューのひとつ、ハワイ風スペアリブ(1000円)ってのが魅力となっているからだろう。どこのサーファーも食い気は人一倍なんだ。ボリュームたっぷりのスペアリブをバドワイザーのビールをラッパ飲みしながら食べてごらんよ。胃にしみわたるうまさだもの。サーファーの心をつかみ頑張る奥村さんの活躍を期待する。 ( POPEYE 1979.3/25より原文のまま)

注:これまた外人時代のカルロスです、アフロが終わった頃かな?写真を大きく変更したので判るかな?この当時はとにかき毎晩パンプキンに集まって飲んでました、20代だもん、青春中なり。

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POPEYE②

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「シェーパーが目標」
現在、名古屋市内だけでサーフショップは7軒。愛知県全体でも10軒しかないってのが実情だ。<KIKI>は、その10軒のうちの一軒。湘南にあるサーフショップと比べても商品的に少しも遜色ない。にもかかわらず、オーナー沖民雄さんが残念でならないことがひとつある。名古屋には1人もシェイパーがいないのだ。いま彼はシェイピングの勉強中である。サーフィンが好きな彼にとって名古屋のサーフィシーンが年々盛んになっていくにもかかわらず。いまだに名古屋にオリジナル・ボードが生まれないってことが悔しくてしょうがないのだろう。シェイパーさえいてばもっと低コストのボードが作れる。そうすれば、今よりもっと多くの仲間とサーフィンを楽しめる。これが彼の望みでもあるからだ。 ( POPEYE 1979.3/25より原文のまま)

注:この店もとにかく毎日行ってました、この横のマンションにカルロスが住んでたしねー。そうそうインベーダーゲームの時代でした、たしか始めてウオークマン買ったのもこの頃。僕は多分ベージュのアコードに乗ってたのかな?

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POPEYE 1979.3/25

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まったく長谷川くんの物持ちの良さには感服しました、何と30年も前の「POPEYE」を完璧な状態で保存してたそうでカルロスへ届けてくれました。この当時の「POPEYE」は時代の最先端を行く情報誌として「平凡パンチ」の後のバイブルのようなものでした、この年だと私はまだ29歳!そして何とこの号で特集「伊良湖に集まる若き海戦士たち」として1ページサーファーが取り上げられていてカルロスも僕もタミオも載ってました!いやはやビックリ仰天、自分でも100%忘れてました・・・ただ今から順次細部をアップしてまいりますのでお楽しみにお待ち下さい。

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October 17, 2007

「IRAKO CLASSIC」

Irako_classic


一昨年12月に発行したままだった「IRAKO CLASSIC」の改訂版がやっと完成しました、このblogの中にある「伊良湖サーフィン史」を編集プリントしたものですが、前回以降やっと手に入った第6回全日本サーフィン選手権の資料約10ページが追加されてほぼ完成状態となりました。元々この企画はオールドサーファーが元気なうちに出来る限りの伊良湖創世記に関わる資料を残しておきたいという理由から始めたものですが、当初から伊良湖でのサーフィンが始まった年から1971年に伊良湖で開催された第6回全日本サーフィン選手権までで区切りをつけようと考えました。この大会が創世記のピークに当たることやこの間に関わるサーファーが比較的少なかった為まとめ易いと考えたからでした。この大会の直後には日本で初となるプロ組織「JSO」が発足するのですが、その発足時点で選手として「石塚義雄」ジャッジとして「阪野益治」の二人だけが伊良湖から参加していた例を見てもこの時代までは「ロコ」「ゴッデス」「エビン」の時代であった事が良く判ります。私が大学をでてから東京・和歌山と移動したあげくやっと名古屋勤務になって戻ってきたのが1973年でしたので、「IRAKO CLASSIC」の時代は極たまの夏休みに数回伊良湖へ行った程度で詳しく関わっていませんでしたが、今回の取材でその間の事情をよく知ることができて幸運でした、取材に協力していただいた多くのサーファーや資料を提供して頂いた方々に深く感謝いたします。今後も新たな資料が見つかり次第改訂を続けていくつもりでおりますのでぜひご協力をお願い致します。な改訂版「IRAKO CLASSIC」をご希望の方は私までご連絡下さい、伊良湖での手渡しか実費にて郵送させて頂きます。

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June 28, 2007

第6回全日本サーフィン選手権⑫

Nsamenbar204
1971年のNSA(日本サーフィン連盟)の登録者用メンバーシップカードです、今回のパンフレットの中では一番現在に近い形のもので今見てもまったく違和感は感じません、今回のパンフレットには貴重な資料が山のようにあって毎日楽しい取材でしたが、そろそろ種も付き始め終わりに近づいてきました、なんだか名残惜しいです。

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第6回全日本サーフィン選手権⑪

Long1Long2Long3
このパンフレットの中で使われているサーフィンの画像は一部のショップ広告を除いたほとんどがロングボードの写真で占められている、まさにこの1971年という年がロングボードからショートへ移項する真っ只中の混迷の時代であったことが分かる、写真のほとんどは1960年代後半の撮影ではないだろうか。

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June 27, 2007

第6回全日本サーフィン選手権⑩

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サーフキヤリアにボードを乗せるのは違反か?

 サーフピ―チに行くのに、車を利用する人が多いと思う。数年前から、サーフホードをキヤリアに乗せて走るのは違反ではないか、と云うことがサ―ファ―の話題になっていた。このキヤリアに―体どのくらいの重量、長さ、高さのものが乗せられるだろうか? 道路交通法では、きわめてばく然としており、何キロ、何センチとは明示されていないが、警察庁交通規制課の話によると、いわゆる手荷物程度まで。 この目安だが、重さは50―60キロ(鉄道のチッキが30キロの荷物で2個までなので、これを参考にしている)長さが車の長さプラス車の長さの10分の1(長さ4メ―トルの車なら4メ―トル40センチまで)高さは2・5メ―トル (これば道交法で決められているもので車自体の高さも含めてだから、荷物だけては1メ―トルほど) これらは、あくまでも目安、常識的な線で、大きさや長さが"それ以上"のものについては、個々の荷物、車輌、また取締まりの警察官の判断で検討することになっている。
サーフボードの長さが2メ―トル前後なので、カ―トップに乗せるのは違反にならないと云う結論になる。 しかし、東名高速道路を100キロのスピードで走っていて、ボ―ドが飛んで後続車に当ったら……と考えてほしい。事故の大きさは云うまでもないが、―回の不注意の為に、キヤリアにボードを乗せることを全面禁止される事態も考えなければならないと思う。 キヤリアはしっかリしたちのを使い、バンドは丈夫なもので、古くなってヒビ割れするまえに新しいものにとりかえよう。ボードは積みすぎないようにして、ガッチリと縛り、サ―ファ―全員のこととして充分に気をつけ合あう,交通安全については、あまりにも多くのことを云いつくされすぎて、交通安全という言葉に対して、逆に不感症になりつつあるような感もするが、あえて提案したい。"Best Surfer イコール Best Driver"と。
(スポーツニッポン新聞参考) 以上すべて原文のまま

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全日本サーフィン選手権⑨

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今回の貴重なパンフレットの中でも見ていて一番楽しい見開きページ、タイトルは「日本国 サーフィンスポット」 当時の国内サーフィンスポットが地図に書き込まれている貴重品、誠に残念ながら一番知りたい湘南・千葉のあたりが切り取られていて判読不可能、ポイント名としては最北端が「川尻」「河原子」「阿字ヶ浦」となっていてそれ以北にポイントは入っていないが恐らく福島と思われるあたりにコメントで「この辺も人に聞いた話ダケド良いところナノダ」とあり仙台らしきところでは「この辺は良いらしい、外人サーファーの話ダケド!!」と書かれている。伊豆では「宇佐美はグーフィーの良い波が立ち熱海・伊東の芸者がよく見にきている、大黒屋がアル」。赤羽根では「このあたりにはメロンがイッパイアリマスがゼッタイぬすんではイケマセン”町長”」。伊勢「国府浜は波が良い!!初心者向き!!」。南紀「この辺はワカラナイ~~~~ノデス!! ダレカ見ニ行ッテ~~~~クラサーイ!!ミツケルノデス~~~」。これら以外にも四国・九州のポイントに関しての書き込みも多少あるが、残念なことに日本海に関しては一言もない。但しNSA加盟クラブ名の欄には日本海でただ一件石川県の弁慶サーフライダース 荻倉良明とあるのでサーフィンは始まっていたようだ。   以上「」内のコメントはすべて原文のまま。

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June 26, 2007

第6回全日本サーフィン選手権⑧

この大会が開催された1971年(昭和46年)当時のNSA愛知支部長は鈴木光彦氏、これはほぼ予想されていた通りでした。さてこの時点で愛知からチーム登録していたのが5チーム、残念ながらパンフレットの一部が切除されていて最初の2件以外はチーム名が分かりませんが代表者名が残っていました。
名古屋サーフクラブ 鈴木光彦
名古屋ゴッデスサーフィンチーム 今村輝敏
矢崎正勝
石塚義雄
田内義昭
以上の代表者の方々が確認されました。
何方か矢崎さん・田内さんに関する情報がありましたらぜひお知らせください。

追伸:さっそく前記の田内さんについて兼ちゃんから連絡をもらいました、以前EVINの日比野さんと上沼さんのお話に出てきた「1967年に上沼氏は先輩に当たる田内兄弟に誘われて初めてロングビーチへ行きサーフィンを始めたとの事。」田内兄弟のお一人であることが判明、そうなるとこれはEVINの前身となるチームだったのかもしれません。 情報ありがとうございました。

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June 22, 2007

第6回全日本サーフィン選手権⑦

Zadankai1Zadankai2Zadankai3
 
  - 座談会 -

司会 サーフィンを始めた動機は?
A   自然を愛したから。
B   海のそばに住んでいたからね。結局波というものは固定されたいないし。
D   僕は小学校2年頃から板きれで波のりを、最初はくずれた波からやっていて、その頃から好きで好きでね。    ボディーサーフィンをやったり、フロートでやったり、そのうち本でハワイにサ
    -フィンというものがあること知って、国会図書館などへ顔をのぞかせたりして。まだ板が日本になかった     ので、自分で作ってやったりしたんです。
司会 ボードがないんでずいぶん苦労したわけでしょ。
B   僕なんか、ベニヤで2枚も作りましたよね。
D   最初はもうみなベニヤにバルサとか、発泡スチロールにエポキシ加工とかね。
B   ウレタンがまだなかったですよね。
A   発泡スチロールなどは、色を染めると溶けてしまったりして。
司会 サーフィンの魅力をひとことでいえばなんでしょう。
C   自然との・・・・・・。
B   無形のものへの挑戦。
A   挑戦というよりは交わりだろうね。
司会 自然との対話、挑戦どちらでしょう。
B   ぼくは挑戦だと思うのですよ。相手がこちらへ来るから自分は受身になり、向かっていく。
E   挑戦した結果により自然を克服したもの・・・・・・。
A   でもね、100%のライディングというものは不可能でしょ。
全員 だからおもしろい。
B   交わったら、それはそれであくまでも交わりだと思うのですよ。
A   でもきれいに見せるとしたら、やはり交わらなければならない。
司会 サーフィンというものは、見せるものなのか、それともやるものなのか?
全員 やるものだね。
B   見ていて、気持ちがいいというのもわかるけれど、入ったらそれも関係ないものね。
A   でも今の一部のサーファーは、もう見せるという気持ちが先に立ってしまって、何というのかなぁ・・・・・。
司会 ただ、そういう人たちは、日本のサーフィン人口5万人の一部だと思うのです。
B   みんな海に来て、サーファーの特徴というのは、女なんかに目もくれないで海につかりっぱなしなどという     のが多いのですよね。
C   結局、ぼくなんか子供をつれていっても、放っておいて、一人で海に入っているからね。
D   ちょっとね、麻薬的なところがあるんだな。これがサーフィンの長所でもあり短所でもあるんだな。若い人た    ちの間で、ちょっと学校をやめてしまうなどどいう問題がでてくる。
C   だから考えてみれば酷なスポーツですね。
D   それが又魅力。
B   ワイルドでワイルドで、これだけ身体をつかうスポーツはもうないんじゃない。これほど自分一人で自然と向    きあわなければならないスポーツというのは考えられない。
C   ロッククライミングにしても、道具がなければだめ。波のりというのは、板きれ一枚でいいわけ。
B   ひどく単純なんだよ。
F   しかしライディングをきれいにするというのはかえってむずかしい。
B   他に何も持たない身体一つだからごまかせない。
C   原始的なのよ。この原始の世界は不可解。
B   ちょっとオーバーかもしれないが、四次元の世界という感じがする。雪スキーの場合は、地面は動かない     が、サーフィンの場合は、地面が動いてしまう。あれ、あるんじゃないかなあ、異次元を感じる時が・・・・。

   海の恐しさ

司会 波についてですが、よく問い合わせでハワイの、まあ、映画やテレビの見すぎかもしれないけど、日本は波    がだめなのではないかなどといって来る人があるが?
B   そうもう少し日本の波についてPRしなくてはいけない。
A   いや、まだ日本の一般の人たちが単純に波というとシブキのことをいっている。
B   あと岸でくずれるスープのこと。
D   たしかに、日本でサーフィンが出来るんですかという問い合わせは多いですね。
司会 そういう海の恐ろしさというものについてどうですか、外国の波と日本の波のちがいとか、波はやっぱり大き    さより質だということについて。
C   外国だってしょっちゅう波があるわけではないしね、日本でも、ものすごい波がある時もあるし、それを一般    の人は、ハワイに行けばいつでもあんな波があると誤解している。やってみたいなんて。サンセットやワイメ    アなどというところで、バカでもチョンでもやっているように思っているが、とんでもないことだよ。あんな大き    な波でやっているのは、サーファーというよりアドベンチャーですよね。他の連中はみんなオカでながめてい    る。
B   たしかに、ハワイというとデカイ波、そのイメージが強すぎるみたい。
司会 それでは、それがどのように日本に影響しているか、例えば、名古屋地区で今問題になっている、サーフシ    ョップで、ボードを買って、そのまま海に行き、ボードを流してしまい、気を失って岸にうちあげられたというよ    うな事件をどのように考えるか。
B   名古屋などではその時点の前に買っておきながら家に飾っておいて乗らないなどというのが多いらしい。だ    から半分名古屋で板が売れても、サーファーが出てこない。
D   東京だって車にのせて青山あたりを流して歩くなどというのが多い。先ず、海に行って気をつけなくてはい     けないのが、潮の流れとか、風とか、地形など最低限の知識をもたないで海へ入ることですよね。
B   それより、ボードというものに安心しずぎているのね。一番いけないのは、あれは浮くものなのだというこ     と。あれにつかまっていれば、大丈夫だという感じがスゴク多いのね。だから女の子でも板にのっていて、    落ちたら板がないなどということがある。
A   日本人というのは探究心というのがないから。自分で調べようという気持ちがない以上、言ってあげなくて    は分からないわけ。つまりなんらかの方法で言わなくてはならない。これからの連盟の仕事だと思う。
F   初心者としては、やはりそこの地元の人なぞに聞いても良いのではないか。
B   だから板を売るのは良いけれども、これからメーカーが増えてきたら、のせるところまでの責任をとれるよう    なパンフレットか、そこまでやらないと、これ以上そういう事があったら、収拾がつかなくなってしまうと思う。
司会 売る立場の良心としてやらなければならないことが一杯あるとおもう。
C   ただし、貸ボード屋さんもこれから貸す以上は、自分のところで監視体制というものを作らなければいけな     いと思う。名古屋でボードを貸しているのがオバさんだったりする。
司会 やはり、サーフィンに関しては、日本サーフィン連盟や、その会員が一番関係あるのだからそのような問題    には、告発といってはオーバーかもしれないが、何らかの問題意識をサーファー全体がもたなければだめ    なのではないだろうか。

   サーファーのマナー

司会 だいたい海の恐ろしさというものは分かったと思うのですが、マナーですね、マナーというのは色々あると思    うのですが、この辺についてちょっと、現実に起こっていることから。
B   メチャクチャにのってきてしまうね。
C   のれないコも、板を買って、すぐ海へもっていったりすると、サーフィンのマナーなんか知らないでしょ。そう     いうのは、ある程度のマナーについて、メーカーがやるべきだね。
司会 原点でそういうことをやる以外には無理だと思う。
C   これからサーファーはもっともっと増える。ボードメーカーが作っている数を昔と比べても分かる。
D   そこに連盟の会員はやはり、そういう人たちの中に入り込んでゆくという、良い方法というものを考えてゆか    なければいけないと思う。
A   NSAのワッペンを付けている人に聞いて下さいとか。
司会 NSAに加盟している人たちには、やはりいろんな利権もあるかもしれないけれど、それ相当の義務というも    のがあると思う。

   サーフィン界の近頃の動き

司会 最後に、最近のサーフボードの動きについて、ロングボードから短くなったりね。ツインフィンがあったり、い    ろいろあると思うんです。そういう動きだとか、一般の消費者というかビギナーには、何がなんだかさっぱり    分からないと思うんです。
B   板が短くなりすぎてしまって、初心者用板とうまい人の板とを分けなければいけなくなっていると思う。
C   これだけはもう級で分けなければだめね。
D   初心者がやる場合は、やはり最低でも2m20~30cm なければ絶対のれない。
C   ただ、うちの方で、そういう風にすすめてもね。海へもって行くと、格好悪いとか、実際にそういう話の方が     多いですよ。うちがこれをすすめても、逆に売るほうから恨まれてしまうわけ。結局ね、ぼくらも一年間のパ    ターンをきめて売れば一番楽なんだけども、商売として売れなくなってしまう。海でサーファーと話している     時間の方が長いでしょ。ああいう板が良いんだ、こういう板が良いんだなどということを吹込まれると、今度    こういう板が欲しいなどと注文してくる。そのときはこちらが、そんな板はまだ無理だからもう少し待てといっ    ても、駄目ですものね。それにね、サーファーマガジンとかね、いわゆるそういう流行にとらわれやすいの     よ。結局作っている本人にしても。
司会 でもメーカー側としては、ボードの種類をどんどん出すのが当然かもしれないが。
C   ただ初心者用の板はね、ある程度制限した方が良いが。
司会 制限というよりPRだね。PR以外にないと思うね。
D   小さい板では初めての人には無理だってね。
G   ただ、今初心者の人たちはツインフィンをすごく好む傾向にあると思うんです。初心者ほどね。
B   どうしてツインフィンを欲しがるのかなあ。日本では絶対良いとは思われないが。まだ日本には少ないから    戦国時代みたいに、ちょっとやればうまくなるような感じがあるみたい。
C   初心者にしてみればうまいサーファーを見てしまうと、短い板を欲しがるんですよ。しょうがないね。
A   ただ、それはとめられないと思うよ。
B   もちろんとめられないと思う。ただ表示しておいてやればいいことで、それ以上すすめることはない、できた    ら、  (以下本文一部欠如)
    り初心者には無理だということを知らせるのは義務だと思う。メーカーとして、サーフィン連盟として。
D   ツインフィンはどうかね。
B   だって日本の波はスティープしていないので、フィンが40cm位の巾だってフィンが横へすべっても、両方     とも、二つフィンがついていることは、内側に向かってついている抵抗じゃない。抵抗が普通より多いという    ことじゃない。ところが傾斜のはげしい波だったら片方だからスピードがもっと出るわけ。つまりテールが細    いのと同じでしょ。フィンを中心に、コントロールするんだから板って。そうしたらスピードは出るんだが、日本    でそういう波でけるなんてほんの瞬間だぜ。
C   だからね、結局スティープしてさ。本当に早い波で乗る場合ね。ツインフィンでもダブルですよ。テールが片    方だけ食込んだ時でも、他方がピンテールになっているからのり込んでいるわけです。そういう板だったら     非常に有効だと思うけど、日本の波でねえ。例えばこういうスクェアーのテールでは、さほど騒がれるほど    の効果というのは出ないと思う。
    (以下本文一部欠如)
C   そこには個人的な好みがあるから一概には言えないかもしれないが・・・・・・。
E   むこうの場合には、それなりの発達の意味があったかもしれないが、日本の場合はただのサル真似・・・・    。形だけのもののような気がする。
D   形だけ追う傾向があるね。
C   ただ、形状としては、メーカーが流行を作り出してゆくと、そのコピーを作らなければならない。
B   それだけ研究する時間が間にあわないということ。そういう人が少ないということ。メーカーに。テストライダ    ーなんていってるけど、テストしてる人なんて居ないんじゃない。
D   ボードメーカーに踊らされて、ツインフィンを買ってしまうのか。

  
   司会 大山節夫 
       坂田 道
       長島 徹
       井坂啓美
       阿出川輝雄
       川名孝夫
       岡野孝親
       清水保清


(以上パンフレット13ページ~17ページ、すべて原文のまま一部欠如)

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June 21, 2007

第6回全日本サーフィン選手権⑥

-サーフインの見どころ-

サ―フィンには、このスポーツ独自の技術が多いため、―般の人達が見る場合、みんな同じ様に見えてしまい、どこが違うのか判らないと思います。サ―フィン大会では、どんな点に注意して、審判員は採点するのか、わかり易く説明してみよう。まずサ―フィンの見どころをひとことて言えぱ「波の最も危険な位置を、出し得る最高のスピードで滑りながら、波の変化に応じてその瞬間に最ち適した技術を駆使し、サーフポ―ドをコントロ―ルして波を乗りこなす。そして、その動作が美しく、ダイナミッタでスピ―卜感にあふれている事です。」この事をもう少し、具体的に説明すると、まず第―に波に乗っている位置が問題になります。これは、波の種類によっても異なりますが、波のくずれかかって、おおいかぶさって来る様な状態を、カール、又波のくずれているのがフックのところで中空になっている状態をチユーブとかパイプとか呼び、このフックの下や、パイプの中で波に乗り続ける事は、非常にむずかしく、また危険であり、サ―ファ―にとっても、見物する人にとってもスリルがあります。次にあげられるのが"スピード"でしょう。サーフポ―ドのスピードをつげる為の技術として昔はボードの先端 (ノ―ズと云う)に乗るとスピードが出てコントロ―ルしましたがボードが短かくなった現在、軽く前ヘステツプしやや重心を前に移してスピードを出します。これを昔のロングボードの時代にはノ―ズライデイングといい、ノ―ズの部分に長時間乗る事は、非常に難かしく、かなり高い点がつけられましたが、現在では、そのかわりとして難かしい個所でスピードをつけながらのトリミングやスネーキンウと云った技術が生かされています。ターンもサ―フィンを見る場合、見逃がせないものの―つです。波に乗る事をテイクオフと云いますがこれは波に対して、直角に行われますのでまず、下まで降りターンをします、これをボトムターンと云います。この次にフックに戻るには、ボードの方向を変えねばならないわけでこれをカツト、バツクと云います,タ―ンには、足を動かさないで体重の移動だけて行うものや、足を動かして行うものなど、さまざま技術がありますが、いずれにしても、それぞれの波に適したターンというものがあるわけです,またポ―ドの淵でターンをするレールターンもあります。この場合スケヅグが水面から出てしまう場合もあり見物する人にとってはかなりダイナミックに映り目を奪われるに違いありません。この他にスキーで云えば、丁度、ウエーデルンの様なテクニツク、波のトップとボトムを上下するアツブスンダウン(Ups & Down)、ローラーコ―スタ―、サイドスリップ、Sターンなどがあり、全体のライディングの流れの中に、これ等のテクニックが人るわけです。この他にも、多くのサ―フィン独特の技術や演技がありますが、海へ行ったら、"アレハ、ナァニ?"と、あなたのそばに居るサ―ファ―に聞いてみなさい。きっと親切に教えてくれると思います。日本のサ―ファ―は、みんな紳士で、開放的な人たちばかりですから………。

(パンフレット9ページからすべて原文のまま)

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June 20, 2007

第6回全日本サーフィン選手権⑤


1971年度Hawaiiannai

本場ハワイで国際サーフィン大会参加
頭金3万円でマカハ海岸1ヶ月サーフィン合宿
出発 昭和46年12月12日~1月10日帰国(1ヶ月)
旅行総費用 (一ヶ月間) ¥25,8000円
○主催:MABO SURF BOARD SHOP
○協賛:日本航空株式会社・三ツ矢航空株式会社
○協力:ハワイ州政府観光局
旅行 期:昭和46年12月12日(日)~47年1月10日(月)(30日間)
旅行費用:258,000円
申込締切日:昭和46年8月30日迄
申込方法:添付の申込書に記入の上申込金30,000円を添えて下記
       迄お申し込みください。
申込先:神奈川県藤沢市辻堂元町1-3-25
     マーボー サーフ ボード ショップ
     責任者 小室正則 TEL:0466-36-9343


(パンフレット4ページの広告からすべて原文のまま、 この当時はまだ大学生でしたが初任給が5万円以下の時代です、へたしたら3万円台だったかもしれません、申込金だけで初任給に近い金額、25万っていうのは現在で100万以上の感じだったんじゃないでしょうか?ここをご覧のサーファーでこのツアーの参加者がもしいらっしゃったらぜひご連絡を)

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June 19, 2007

第6回全日本サーフィン選手権④

KaijouknnaichizuKaijouhukinnnohuukei
-会場ご案内-
赤羽根は、愛知県渥美半島の中央部に位置し、南は太平洋に面し、東に田原町、西は渥美町に隣接する、北部の境界附近は山地であるが、中南部一帯は約1000haにおよぶ田畑があり、農業が盛んである。町の北西部の大山(海抜328m)より吹き下ろす冬季の季節風がかなり強いが、緯度ならびに潮流の関係で温暖地帯をなし、平均気温は15.8度C、降雪はほとんどなく、年間の降雪量は1828mm。温暖な気候による暖地園芸作物の栽培によって、長者町として知られている。 名も知らぬ遠き島より 流れ出るヤシの実一つ・・・ 抒情詩人、藤村の詩碑のたつ伊良湖岬まで豊橋より45.8キロ、中央に南アルプス・赤石山系より続く山々をなし、東から西に伸びる半島である。怒涛逆巻く遠州灘と、優美な島々が浮かぶ波静かな三河湾を眺め先端から見る日本三大潮流の一つ伊良湖水道の遥か彼方、伊勢志摩の山々を望む。鎌倉幕府によって東海道が整備される以前、伊良湖岬-鳥羽の舟運は東国と京を結ぶ幹線であった。万葉の昔からうたによまれた、白砂の恋路が浜は遠く続き、太平洋の波は青く、花とロマン満つ。温暖な気候と変化に富んだ風土に、幾多の遺跡や史跡、伝説が秘められた文化が溶け込むところ・・・・・ ここ渥美半島は、自然景観と素朴な人情をただよわす、勝れた観光郷である。 東名高速道路・豊川インターチェンジまで、東京から269キロ約3時間で1750円。大阪豊中インターチェンジからも約3時間。名古屋からは56.5キロ40分で450円。湘南方面からは厚木インターチェンジから入る。浜名湖を過ぎるとまもなく豊川インターチェンジ、厚木から234キロ約2時間50分、1550円。豊川市内で国道1号線と交差する個所から259号線(田原街道)となる。259号線を25分程走って田原町を抜けると、赤羽根方面への標識がある、ここから10分程でサーフポイント着。 宿は赤羽根町に2軒、丸三旅館(電話053145-2003)は全日本選手権大会の本部になる。大浜屋(電話053145-2008)は大会当日すでに満員、2軒とも1泊2食付1500円。渥美町に民宿は沢山ある。推薦できるのはフラワーセンター前の、しらすな荘(電話05313-5-6723)1泊2食付1500円だが、10人以上で行けば1300円になる。     (以上すべて原文のまま)

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June 18, 2007

第6回全日本サーフィン選手権③

第6回全日本サーフィン選手権
日時:1971年8月15日~16日 予備日17日
会場:愛知県渥美郡 赤羽根海岸

ジュニア
優勝 岡野 教彦 (サンドウイッチ)
2位  伊東 満   (大磯ビックウエーバー)
3位  稲葉 光夫 (ワイプアウター)
4位  進士 安徳 (ワイプアウター)

メン
優勝 出川三千男 (鎌倉SC)
2位  小室 正則  (フォックスマジック)
3位  川南 活   (グレミー)
4位  小川 修一  (ホワイトトデューン)

シニアA
優勝 小川 秀之 (プフプファ)
2位  吉田 正   (岬SC)
3位  鈴木 正  (ゴッデスSC)
4位  鈴木 捷吾 (ゴッデスSC)

シニアB
優勝 坂田 道  (大磯ビックウェーバー)
2位  鈴木 泰彦  (伊東ラッキーメイト)
3位  高橋 太郎  (ダックス)
4位  斉藤鉄太郎 (ゴッデスSC)

レディース
優勝 細川真理子 (フォックスマジック)
2位  山下つる代 (ホワイトデューン)
3位  若林加代子 (ゴッデスSC)
4位  皆川 玲子 (テッド)

以上がこの大会結果です、残念ながらヒート表等は残っておらずこれらのサーファー以外の参加者はまったく不明ですが、当然地元からもエントリーしたものと考えられます、これはきっと石塚義雄かターザンに聞くしか判らないかもしれません。しかしこれら入賞者の豪華メンバーが伊良湖でサーフィンしたことは紛れもない事実です、当時のトップサーファーにとって伊良湖の波はどう見えたのでしょうか?今後機会が有れば聞いて見たいと思います。

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第6回全日本サーフィン選手権②

Blognsakaichou
パンフレットのご挨拶を見てみると、当時の日本サーフィン連盟会長が何とあの八田一郎氏であった。アマチュアレスリング界の神様と呼ばれていた方がサーフィンに関わっていたなんて素晴らしいとしか言えない。

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第6回全日本サーフィン選手権①

Blogzennihonnpanf
1971年に伊良湖、当時の赤羽根町で開催された日本サーフィン連盟主催の第6回全日本選手権はまさに伊良湖のサーフィン史におけるエポックメーキングであった、今回の「IRAKO CLASSIC」でも伊良湖の創世記としてその始まりからこの全日本までを第1期としている、今回あざらしくんからお預かりしたこのパンフレットはまさに玉手箱そのもの、我らにとっては何者にも変えがたいお宝である。当時のサーフィンはちょうど今と似通った状況にありロングボードからショートへ移行する真っ只中にあり海の中ではロングボード、それに今話題のレトロボードとかトランジッションと呼ばれるボード、それに現在のショートボードの原型となるショート、これらが混在する不思議な時代であった、当然ながらこのパンフレットの写真を見ても一般の写真は殆んどがロングボード、トップサーファーの持つボードもどうみても180cm以上はありそうなボードだ。残念なことにこのパンフレットでは相当のページで切り取られた跡があり完全に読むことは出来ないが、大切な資料なのですべてをコピーし、出来る限りご紹介して行きたいと思います。

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June 17, 2007

大収穫

今日はBBQ会場にオールドサーファーのあざらしくんがわざわざ来てくれました、以前から彼が持っている事は知ってましたが今日初めて彼から1971年に伊良湖で開催された第6回全日本サーフィン選手権大会のパンフレットを見せて頂き大感激です、しかも大切な原本をお借りすることが出来ました、明日以降に順次内容をご紹介してまいりますのでぜひお楽しみにお待ちください。

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December 21, 2005

「今ここに歴史が・・・・」

maunn7800
伊良湖の大先輩にあたる清水さんは静波へ移ってしまったが70歳を越えた今も現役で海にいらっしゃる。現在の伊良湖では会長と、この一番左のマウンテンが年長。マウンテンは62歳となった今でもショートボードに乗り続ける現役のサーファー、中央のハッサンは我々の年代なら知らない者はない、彼もまたショートボードの現役サーファー、次ぎの2名は親子でサーフィンを続けるアマノ父子、父はロングボード、子はショートボードと別れているが子は父の時代のレトロボードをこよなく愛す素敵なサーファー、右端は今回の資料協力で大変お世話になったカズくん、彼もまたショートにこだわり続けている。一時代前の「人生50年」であれば皆もうこの世にはいないはずのお年なのにこの元気さは何と言えばいいのだろう。そしてビーチで彼らとサーフィンの話をするときの生き生きとして澄んだ目を見せてあげたい、いかに彼らがサーフィンを楽しみ、そして愛し続けているのか。続けていく事が難しいと言われるサーフィンだが、こうして彼らをみているとサーフィンのあるべき姿が見えてくる、既に伊良湖ではサーフィンがカルチャーになってきているのだろう、まさにこれが伊良湖サーフィンの歴史そのものであるはず。
1966年から始まった伊良湖のサーフィンはこれからも間違いなく次々と世代を引き継いで続いていくことだろう、何年か後に振り返ってみたらきっと今が「IRAKO CLASSIC」であったことに皆気が付くのではないだろうか。
素晴らしいサーフィンの未来の為に・・・・・・             撮影 北村守


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August 19, 2005

ロングビーチ1974

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写真左から、持田・ユキさ・清水の3名、バックのマークⅡに時代を感じてしまう。

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ロングビーチ1973

blogshimizu73lタイトルによると「ロコサーフコンテスト」となっているが、これはまったく知らない。しかしバンドが入って結構大掛かりなことやってたんだ。

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August 18, 2005

ロングビーチ1977

blogshimizu77lb6blogshimizu77lb7この頃になるとロングビーチの夏は結構な賑わいだった、山の上に見える弥八のホテルも現役でそこそこ綺麗だったはず。またここに写っている売店は亡くなったレストランサーフィンのおやじさんと、銀歯の素敵なばーちゃんとのコンビだった、まあカップラーメンにお湯を入れる程度の商品と、ちょっとヤバイ水の出てくるシャワーが売り物で、一時はこの方々が有料駐車場にしていた時期も有ったはず。EVINの車の前に座っているのは左から、ヒロシ・清水・ヒチくんじゃありませんか・・・。

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ロングビーチ1975

blogshimizu75lb4弥八サイドから坂下方向を撮った写真で左奥に売店が見えてるね、これが今のトイレ当たりじゃなかったかな、まったくの未舗装でまだトイレが無く大変だった時代の一枚。

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ロコポイント1973

blogshimizu73lokoやっと見つかったという感じの貴重な写真が清水さんから提供されました。これこそが堤防が短かった時代のロコポイントそのもの、この後どんどんと長くなっていき、ついには横へ伸びだしちゃった。これはちょうど僕が名古屋に戻った前後なので一番良い時代の写真が残っていました。まだサーファーより釣師の方が多い時代ですよね。これは大切な一枚になりそうです。

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清水義博

blogshimizu76lbhonnninn8今回の「伊良湖サーフィン史」は以前書いたとおり、伊良湖で始めての全日本選手権が開催された1971年を区切りにしようと考えている。伊良湖で始めてサーフィンが始まった1966年からの6年間はまだ比較的サーファーも少なく、まとめやすいと考えたからだ。今回EVINの兄さんが連絡してくれたおかげで元EVIN春日井グループだった清水義博さんが先日古いアルバムを持ってロコポイントまで来てくれた。彼はEVIN開店後に始めているので1972年以降になるんだけれど、あまりに写真が貴重な為に番外としt取り上げさせていただこうと思います。この写真が今回資料提供をしてくださった清水さん1976年ロングビーチでの画像です。

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July 29, 2005

NSA

今回の資料集めで、どうしても確認の取れない事があった、それは60年代の愛知とNSAとの繋がりと、1971年の全日本の資料の問題だと以前にも書いた事が有った、この件では電話でNSAに問い合わせてみたものの返事は無し、しょうがないから広報宛に丁重なメールでお問い合わせした結果届いたのが「1971年の全日本のパンフレットはこちらにも一冊しか残っておりませんのでお貸しすることが出来ません。愛知支部との関係ですが69年から79年の間ということしか分かりません。30年以上前のことですのでこちらでも資料が確認できないのが現状です。よろしくお願い致します。NSA事務局」なんだか硬直化してる組織なんだというのが良く判るな、ちゃんと執筆中で資料がお借りしたいと言ってるんだから一冊しかないならコピーくらいしても良いんじゃないのかなと・・・勝手に思ってみたりしちゃうよね。様はまったく資料の整理がしてないんだと思う、うーーん何となく悲しくて、辛いな。

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July 20, 2005

伊古部

blogsanchanA月曜はサイズがあったせいでわざわざ伊古部から最長老の「さんちゃん」こと杉浦茂義氏がロコポイントまで来てくれたので早速インタビューをさせていただいた、ちょっと今忙しすぎてテープの編集が出来ていないので詳しい内容はまた後日になるが、今村さん・見田くんの話は非常に興味深いものがあった。杉浦さんは1970年の暮に名古屋へ出てきて栄にあったスポーツ店でMALIBUの8フィート前後のサーフボードをオーダーし、それが届いたのが1971年2月、そしてデビューはその年のロングビーチだった、その日に知り合ったのがターザンで色々と教えてもらったとのこと、伊古部にもこの年か次ぎの年には入るようになり、その当時で10名程のサーファーがいたそうだ、詳しくはまた。

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July 19, 2005

ウエットスーツ

malibu021960年代のサーファーにとってウエットスーツは大問題であった、当然のようにサーフィン用のものは無く、皆がダイビングの店へ行ってはオーダーしたのだが、今に比べれば大リーグギブスのような代物で動くには相当の体力が必要なとんでもない商品だった。この写真は1972年にMALIBUが発行したサーフィン用のウエットスーツ「BODYGLOVE」のパンフレットで当時はすべてが輸入品だった。驚くべきことにこのモデルのうちで左から2番目がカズくん、4番目はなんとターザンだ。

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ヨコハマ

fukui5たしか以前にサーフィンワールドに載ったロコサーフショップの広告も同じ場面だったはず、この写真は1972年の冬に福井、ヨコハマポイントでの第一回サーフィン大会での集合写真だ、小さいので難しいが、よーっく見るとターザンはもちろん、ハッサンやシンちゃんもいる、カズくんの記憶では石塚くんもいたはずだとのこと、前年の宮崎、この年の千葉、そして日本海と当時としてはそうとう広範囲に移動していた事が判って来た。

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HAWAII

hawaii4hawaii21966年に始まった伊良湖のサーフィンは1970年に大転換を迎えることになる、鈴木光彦さんが中心となって初めてのハワイ・サーフィンツアーが開催されたことだ、1970年12月31日、初めての海外旅行に胸を躍らせたサーファーは6~8名、現在確認が取れているのは(鈴木光彦・長坂義正・久保田芳一・阪野益治)、残念な事に写真が不鮮明なのだが左の写真で右から、長坂義正(スーパー)・阪野益次(ターザン)・久保田芳一(カズくん)ひとりおいて服部年光。また右の写真では立っているのが久保田芳一、椅子に座ったスーツのとんぼ眼鏡で決めているのが鈴木光彦、その顔の並びに外人がいるが、そのもみ上げに時代を感じる。また以前にも書いたが、まったくの偶然で同じ日程でEVINの日比野健一一家もハワイにいた。そしてこの旅行がきっかけとなり、帰国後の71年に「LOKO SURFSHOP」「EVIN SURFSHOP「GODDESSSURFSHOP」と次々と開店し、一気に名古屋のサーフシーンが盛り上がり、サーファーの数が加速度的に増えていくことになった。まさに彼らにとってはカルチャーショックのハワイツアーだったのだろう。

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LOKO SURFSHOP

lokosurfshop117日に「カズくん」こと久保田芳一氏から貴重な資料をお借りすることが出来た。その中でもこの写真には感動する、1972年頃の「ロコサーフショップ」サニーピックアップに乗って黄色いボードを持っているのがターザン、その右が熊ちゃん・ハッサン・ジュリー。凄く雰囲気のある画像で、いかに1970年代のサーフショップが若者を引き付けていたかその魅力がそのまま出ているようだ、まさに「カリフォルニア」ですよ。 今入った連絡で当初71年にオープンした時にはこのトラックは白色だったそうで71年暮れに九州宮崎へツアーに出かけてカズくんが事故り、それで色を塗り替えたとの事、写真は1972年、一番左はジュリーだそうで、マウンテンに似てたけど違ってた、マウンテンの登場はこの72年か73年だそうです。

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July 15, 2005

ロングビーチ

evinsumy5さて、このロングビーチは一体何時頃だろう?EVINの兄さんの横はたしかさパ大佐のコメントにあるサミーさんでしょ?

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スケートボード

evinskate3スケートボードの歴史は意外と古い、「ローラーサーフィン」とか言ってたような?今のボードとはまったく違う世界のもので、まったくフレキシビリティーの無い木製ボードにこれまた単にローラースケートの車輪部分を付けただけのしろものだったが、やはり横乗りの珍しさか、結構流行ってサーファーなら一度はやっていたはずだ。僕にしてからが1975年頃は名古屋の会社で部長職だったが、いつも地下の駐車場でスケートボードやってた、忘れもしない国立新卒社員の面接の日、ビルの外でスケートボードやってる時に、その本人が来て思わず入社拒否になるところだった。さて懐かしいこの写真は大高緑地で行われたEVIN主催のスケートボード大会の模様、このライディングスタイルなんぞは泣けそうに懐かしい。

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July 14, 2005

御前崎ツアー

evin114evin213evin315日比野さんがグループで御前崎へ出かけた時の写真3枚、恐らくこのスカGに積まれた2枚のTEDが一番最初に手に入れた2枚と思われるし、ヘアースタイルもまだショート、そうなるとこの写真は1969年か1970年に限定される、しかし3枚目の東名パーキングでの写真を見ると横に並んだ名古屋ナンバーのカローラとブルーバードにもボードが積まれている、恐らく写っている5名に写真係の1名(多分マーボー)を加えた6名ものサーファーがいたことになる。もうこの当時伊良湖には100名近いサーファーが出没し始めたようだ。

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日比野 雅康

mabo1mabo2mabo3ここまで調べていて気がついたことは、やはりサーフィンを始めるのは多感な青春時代であったということだ、ほとんどの人達が18歳~19歳でサーフィンを始めている、これは同時に湘南とか千葉とまったく違う環境にあり、名古屋から伊良湖までの長い道のりの移動手段として当時から車が不可欠なため、当然免許書の有無が問題となったことでもあったはず。そんな中で彼だけは特殊な環境にあった、大学2年になり車を持ってサーフィンを始めた兄に連れられて若干15歳という若さでサーフィンを始めた、通称「マーボー」と呼ばれる日比野雅康は当然のことでその若さ・センスでサーフィンの上達は目覚しく、71年以降の伊良湖では大会優勝の常連であり、また早期にプロとなり活躍していた。ただ兄さんの話によると、1971年の全日本にはまだ出場していなかったそうだ。当時のレベルからして出場したのは光彦さんと石塚くんだと言われたが、これに関しては今だ確証が無い、NSAにも問い合わせているが予選の記録がまだ見つかっていない。真ん中はロングビーチ岩場のアウトでサーフィン中のマーボー、右はロングビーチでのチューブイン。

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July 13, 2005

ヘアースタイル

evin4なんと言っても35年程前のことなので誰に聞いてみても年代に関する記憶がハッキリしない。以前書いたように記憶を取り戻す為には当時のニュースや何年生だったかとか、車の車種なんかが手がかりだったが、今回始めてヘアースタイルも重要な年代の決め手になることが判った。日比野さんの場合1969年に始めた頃はショートヘアだったようだ、この写真は一番最初に手に入れたTEDなのと、このヘアースタイルからして1969年か1970年と思われる、もうひとつ気になるのはバックに見えるロングビーチの堤防、まだ真新しい堤防が一体何年に出来たのか一度調べてみないといけなくなった。もうひとつ、当時のTV番組も決めてになるようだ、兼ちゃんは子供の頃に「Rute66」でサーフィンでピアを抜けるシーンを覚えているし、日比野さんは「HAWAII50」や「HAWAIIAN EYE」そして当時お昼の時間帯にJUN提供でサーフィンシーンが放映されていた「SURF BEART」等、こちらも調べてみないといけない。まだあった・・・日比野さんはサーフィンを始める前に「ENDRESS SUMMER」を名古屋駅前のグランド劇場で見た記憶があるそうだ、しかも当時は2本立てでもう1本が「ロメオとジュリエット」だったと覚えていた、しかしなんとも強烈な組み合わせだこと、この名古屋での上映年代も不明。

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近藤茂紀

shigeki11彼もまた伊良湖の歴史に名前を残している、左2名が日比野兄弟、その横でカメラ目線なのが近藤茂紀。GODDESSからその後BaliHighの設立役員となり、東海サーフィン連盟(TSA)会長、TIKI、TOROPICAL JUICEのオーナーでもあった、伊良湖では大きな体を使った豪快なサーフィンでその名を残している。

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見田

mita4やっと見田くんの写真が見つかった、どうも1974年の写真らしいが、彼が伊良湖へ来たのは1971年以降と言われているのでこれは最盛期だね、左から2番目がEVINの兄さん、続いてマイク・パーパス、そしてシャイな感じの4番目が伊良湖で一世風靡した見田くんだ。彼の特徴あるリラックスしたライディングスタイルに憧れたサーファーが非常に多かったはず、先端でのチューブインを忘れることは出来ない。たしか「サーフマガジン」だと思うが、伊良湖特集に彼が出ていたはずなのでいずれ探し出して紹介します。

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サーフショップ

結局鈴木光彦さんはサーフボードを取り扱ってはいたものの実家の木材業の倉庫に置いての直販のみで、サーフショップという感じではなかったそうだ。名古屋におけるサーフショップの第一号は「ジェイビス」そしてその後「LOKO」「EVIN」「GODDESS」と続いた事が確認できた。そして現在「ジェイビス」「GODDESS」はすでに無く、「LOKO」のターザンもいなくなってしまった今、いかに「EVIN」の日比野さんの存在が大きいかよく判る。これら以外のショップ、たとえば「BELLS」等はすべて1972年以降となるため今回の範囲には含まれない。

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EVIN SURF SHOP

evin1evin2evin3昨夜はEVIN SURF SHOPのオーナー日比野健一氏にインタビューをさせて頂いた。また日比野氏よりも早くサーフィンを始めた上沼健氏にも同席して頂いて同時に昔話を聞かせて頂いた。その結果判った事だが、1966年に鈴木正彦・鈴木勝美両氏によって始まった伊良湖サーフィンの歴史は、その翌年鈴木さんの自宅近所、いわゆる南陽町グループとはまったく別なところで同時発生的にサーファーがいたということだ、そちらはあえて言うなら学校繋がりでのグループだったと思われる。1967年に上沼氏は先輩に当たる田内兄弟に誘われて初めてロングビーチへ行きサーフィンを始めたとの事。ダイビングショップMAXで入手したD&Sのロングボードだった。この学校つながりは翌々年の1969年に一気に広がりを見せることになり、今回の日比野健一・日比野雅康兄弟が当時東京神田にあったTEDサーフショップに電話をして2本のサーフボードを手に入れてサーフィンを始め、それは一気にターザンこと坂野益治や近藤茂紀・奥村裕司等へと広まり一気にサーファーが増加したと思われる。しかし驚くべきことは当時のサーファーの殆んどが超セレブだった事だ。光彦さんは当時ブルーバードSSS,勝美さんはミニクーパー、日比野さんはスカGと10代としては信じられないような高級車を乗り回し、しかも驚くことに会長グループは初めて5年目、日比野さんに至ってはサーフィンを始めて次ぎの年にはハワイへ出かけている。今とはまったく価値観の違う当時の海外旅行は強烈にお金の掛かることで、当時初任給が5万円前後の頃でハワイツアーは20万円以上していた、現在に換算すると70~80万円という高額になる。こういうことを簡単に出来る環境にあったということになる。しかも全くの偶然だがこのハワイツアーではまったく同時期に二組がハワイにいたことになる。そしてこれが転機となりハワイから帰った坂野氏は「LOKO]を、続いて日比野氏が「EVIN」をそれぞれ名古屋市内に開店し、サーファーの数が加速度的に増えていくことになった。名古屋ではこの2軒の前に今村さんの「ジェイビス」があるのだがまだ詳しい確認が取れていない。また同じく68~69年頃に豊橋の愛大前に「カトリさん」経営のサーフショップが有ったそうだ、何方かこのショップの情報があればぜひ教えていただきたい。

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松浦兼知

kenji16昨日もまた日比野さんから貴重な写真を数多くお借りする事が出来た。前回のマイケル師匠の写真にもブッ飛んだが、今回の衝撃はまさにそれ以上である。この写真右から2人目、白いトランクスをはきセミロングのヘアーには薄っすらとウエーブのかかった美少年が、なな・・・なんとBaliHigh Longboard Teamの重鎮、兼ちゃんこと、松浦兼知さん、その左の美女が奥様だそうで、恐らく30年以上前の写真と思われるが、こうしてみると写真ってのは凄いもんだとつくずく思ってしまう。

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年表

1964年(昭和39年)
☆平凡パンチ創刊
☆「エンドレスサマー」上映

1966年(昭和41年)
鈴木光彦 鈴木勝美
☆ビートルズ来日
☆全日空、羽田沖で墜落、死者133人(2月)

1967年(昭和42年)
石塚義雄 竹内進 上沼健 田内兄弟
☆ツィギー来日(10.18)ミニスカート更に短く
☆グループサウンズ●フーテン族、ヒッピー族、アングラ族
 ●アングラ酒場●シンナー遊び

1968年(昭和43年)
安部公司 山田真一郎 日比野直實 角谷晃 武藤恒志(番外)
今村さんが昭和区に初のサーフショップ「ジェイビス」をオープン
☆3億円強奪事件(12.10)
☆川端康成ノーベル文学賞(10.1)

1969年(昭和44年)
坂野益治 久保田芳一 服部年光 長坂義正 日比野健一 日比野雅康 
近藤茂紀 奥村裕司 フラン スーくん 山田俊男
☆アポロ11号、人類初の月面着陸成功(7.20)
☆中津川フォーク・ジャンボリー(8.9)

1970年(昭和45年)
角谷元志 ハッサン 熊ちゃん
初のハワイツアー出発(12.31)
メンバー8名(会長・スーパー・ターザン・カズくん他)
この頃私が伊良湖へ顔を出す
☆大阪で日本万国博覧会(3.14~9.13)
☆よど号、赤軍派にハイジャックされ北朝鮮へ(3.31)

1971年(昭和46年)
松浦兼知 杉浦仁 
「LOKO」「EVIN」オープン
第6回全日本選手権開催
☆日本列島改造論
☆銀座三越1Fに「マクドナルド」1号店開店(7.20)

新事実を元に新しく作ってみました

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July 12, 2005

EVIN

evinA今夜のインタビューは名古屋老舗サーフィショップである「EVIN」の日比野さんと、それより早くサーフィンを始めていた上沼さんのお二人でした、貴重なお話やら写真も一杯出てきたので、詳しくはまた明日ゆっくりとアップいたします。

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July 09, 2005

ロングビーチ?

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こちらはロングビーチという説もある、しかしはっきりしない。

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弥八

ya81ya82昨日大松でお借りした貴重な写真、2枚とも旧展望台付近から弥八を見下ろしたもの。左の道路は弥八の位置から見て現在の道路とは位置が違うと思われる、バンガローへ降りるみちだろうか?右では薄くうねりのラインが見えているが非常に美しい。どちらも年代は不明。

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July 08, 2005

大松屋食堂

oomatuyaA伊良湖のサーフィンを語る上で、どうしても避けて通れないのが「大松屋食堂」、ここを知らないサーファーは間違いなく「モグリ」だ。僕も伊良湖へ来るようになってからは以前もっと下にあった旧大松屋では大変お世話になった記憶がある。今日機会があって何時が開店だったのか聞いたところ、即座に「昭和42年2月6日」と返事が返ってきてこちらが驚いてしまった、まあよーっく聞いてみると「やっちゃん」の**歳の誕生日に開店したそうで、それなら忘れるはずはない。しかし開店の年はまだ誰もサーファーは訪れることも無く、初めてお客として来たサーファーは43年か44年、湘南GODDESSの鈴木正氏と名古屋の今村氏だったとのこと、また1971年の全日本の時は試合の前夜から終了後までサーファーで溢れかえり大賑わいだったそうだ、当時の貴重な写真もまだ保管してあるそうなので次回見せていただけることになり、非常に楽しみが増えてきた。

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July 07, 2005

パワーコード

coard1当時はまだ「パワーコード」と読んでいた現在の「リーシュコード」前身、この写真を見ると当時の状況が良く判る。スケッグの後部にドリルで穴を開けて紐を通し、それに様々な素材のゴムを結び付けていた、それは自転車の荷台で縛るゴムだったり、タイヤチューブを切ったものだったりした。残念ながらそれをどうやって足首に固定したのか忘れてしまった。

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LOKO1976

loko19762同じく「サーフィンワールド」に掲載のLOKOサーフショップの広告、これも僕の勘違いだった写真、この写真も非常に記憶に残っていたがもっと古い時のものだとばかりおもっていた、当然当時のロコポイントでの撮影だろう、残念なことに粒子が粗く、顔が判りにくいがターザンだけはしっかりと目立っている。この当時は僕がGODDESSからKIKIへ移った頃なんだけど、どういうわけだかまったく買い物したこともなかったLOKOのターザンとは仲が良かった、理由はまったく覚えていないが、良く海で話をしていた覚えが有るし、一時我が家にホームステイしていた若いオージーガールにちょっかいだしていたこともあった・・・こうして古い雑誌をみていると色々な事が思い出されてくる。 さていよいよ来週火曜には「エビン」のインタビューが決定し、現在「あざらしくん」も当時の資料を探してくれている、まだまだ出てきそうな展開が続く。

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ロングビーチ1976

lb197611976年夏に発売された「サーフィンワールド」創刊号では最初に編集長石井秀明の文章が有り、その下には何と伊良湖ロングビーチの写真が掲載されていて非常に印象深かった、当時のロングビーチは今とはまるで違い、毎年天竜川から流れ出る砂によって形成されたサンドバーはまったくパーフェクトなグーフィーウエイブが岩場を中心にブレイクしており、そこは正に道場と化していた。今でもロングビーチへ降りる坂から見えるまったくパーフェクトなラインアップを思い出すと震えが来るほどだ。

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July 06, 2005

記憶喪失

どうも記憶を取り戻す鍵は車にあったらしい、僕が初めて海へ行った頃はまだ車を持っていなかったから友人に会社の車で乗せてもらったはずなので彼に連絡を取ってみた、1968年の夏後半僕達三人は何とWVのデリバンに乗り、横須賀でハンバーガーを食べて七里に向ったそうだ、何とおしゃれな!その後この年に数回出掛けたとの事、また1970年には僕が親戚から借りたブルーバードに乗って一緒に伊良湖へ行き、弥八からボードをかついで坂を降りてロングビーチへ入ったそうだ、海には他に2〜3人しかおらず、しかも全員が湘南から来たサーファーだったとか、まったく忘れていた記憶が他人の手でよみがえってきた。

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あざらしくん

またまた連絡が入り、新たに1968年のメンバーが増えた、彼の名前は「あざらしくん」こと日比野直實、なんと1968に湘南のGODDESSまで出かけていってボードを手に入れてサーフィンを始めたそうだ、彼は仕事が床屋なのでもっぱら月曜のお休みに行っていたそうで、実は前にも書いたが、私も月曜休みだったので彼とは結構接点があった、しかも1970年にはハワイへも行っているとの事、当時の資料も多く保存して有るそうなので非常に楽しみになってきた、何でも71年の全日本のパンフレットまであるとか、いやここんところ急激に情報提供が増えてきて凄く助かってます。

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カズくん

たった今、カズくんから連絡が入った、1969年にハワイというのは勘違いで、出発が1970年12月31日だったとのこと、そしてカズくんとターザンがサーフィンを始めたのが1969年と判明した。カズくんは翌1970年に会長から2m30のTEDを購入、71年からは2mを切るショートに乗るようになったとのこと、当時の写真には日付けが書き込んであるようで貴重な資料が一杯あるそうだ、さすが見込んだだけあるね。 また同時に今まで出てこないのが不思議だったマウンテンはもう少し後になって始めたようで1974年頃だった模様。 後はこの年表のどの部分に今村さんやエビンが入ってくるのか楽しみだ。そうそう今のところ近藤茂紀の登場は1970年、また問題のカルロス奥村は69年か70年と思われている。

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うーーーん

こうして年表にしてみると良く分かる、以前から千葉の丸山さんに言われていた事だが、「伊良湖の素晴らしいところは創世記のサーファーが今でも現役でいることだ。」と何度も言われてきた。つまり1960年頃から始まった我が国のサーフィンは当時も現在も?その中心は湘南と千葉であり、当然その創世記のサーファーは今でも健在なのだが、多くはサーフィンの業界やプロの創立に携わることになっていき、自然と海へ入る機会から遠ざかる運命だったようで、千葉で50歳以上のアマチュアを大会で集めるのは大変な事と言われていた。だがこの年表を見れば判るように、伊良湖の場合には最初に始めた光彦さんは今でも現役で自分の名前の着いたポイントに良く入っているし、ロコポイントの波が良い日にはちゃんと入ってくる、残念ながら67年の二人は事情があり海から離れてしまっているが、68年に出てくる3人はしっかり以上に現役のサーファーで何時もロコポイントにいるメンバーじゃないか、しかも全員がアマチュアのまま活躍中、これはこれで素晴らしいことなんだと思う。サーファーなら誰でも一生サーフィンを続けたいと思う事があるものなんだが、実はなかなかそうもいかない、仕事が増えたり、家族が増えてくると自分の好きなような生き方が出来なくなってきて、じょじょに海から離れていく例を山ほど知っている、「サーフィンは続けることが難しい」と言われる中でこの状況は良い見本なんじゃないだろうか。

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交流

いつもロコポイントにいるから知っている人が多いと思うけど、今でも毎週海に入っている「シンちゃん」と連絡が取れ、彼が苦労して「アダチスポーツ」経由でサーフボードえを手に入れて伊良湖へ向かったのは1968年と判明した。ところがまったく情報の無い当時、それとなく噂で伊良湖ってところでサーフィンが出来ると聞いて向かってはみたものの、一体どこでサーフィン出来るのかまったく判らずにうろうろしたあげく、なんと先端へたどり着いたそうだ、ところがどっこい波があるはずもなく、他へ行くあてもないまま名古屋に戻ってしまい、結局この年はサーフィンは出来なかったとのこと、年表にもある最初に名前が出てくる5名は「南陽町グループ」で名古屋市港区南陽町に住む若者の内で親戚や同級生を中心としして誘い合って始まったもので、非常に局地的なものであったらしく、この時点でまだ他の地域で自然発生的に出始めたサーファーとの交流はまったくなかったようだ。どうも伊良湖でのサーフィン発生時のターニングポイントは1968年か69年だと思われる。こうなってくると他のサーファーに比べて記憶がしっかりしているカズくんの話が役に立ってきそうな予感がしてきた、しかし・・・この時点でまだマウンテンは生まれていなかったのかな?

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年表

1966年(昭和41年)
鈴木光彦 鈴木勝美
☆ビートルズ来日
☆全日空、羽田沖で墜落、死者133人(2月)

1967年(昭和42年)
石塚義雄 竹内進
☆ツィギー来日(10.18)ミニスカート更に短く
☆グループサウンズ●フーテン族、ヒッピー族、アングラ族
 ●アングラ酒場●シンナー遊び

1968年(昭和43年)
安部公司 シンちゃん 日比野直實 武藤恒志(番外)
☆3億円強奪事件(12.10)
☆川端康成ノーベル文学賞(10.1)

1969年(昭和44年)
ターザン カズくん スーパー
☆アポロ11号、人類初の月面着陸成功(7.20)
☆中津川フォーク・ジャンボリー(8.9)

1970年(昭和45年)
近藤茂紀 奥村祐司
初のハワイツアー出発(12.31)
メンバー8名(会長・スーパー・ターザン・カズくん他)
この頃私が伊良湖へ顔を出す
☆大阪で日本万国博覧会(3.14~9.13)
☆よど号、赤軍派にハイジャックされ北朝鮮へ(3.31)

1971年(昭和46年)
第6回全日本選手権開催
☆日本列島改造論
☆銀座三越1Fに「マクドナルド」1号店開店(7.20)

こんな感じなんですが、いかがです?記憶が戻ってきたんじゃないでしょうか??

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記憶

サーファーの名言「髪の毛と記憶は薄くなる!」、まさにその通りで、今回の取材でも明らかになったのはそれぞれの記憶の薄さとあいまいさだった、特に年代に関しては当然のごとく西暦で覚えている人はほとんどおらず、昭和での記憶か、当時学生の何年生だったのかが一番のキーとなった。また当時の写真を見ると記憶は鮮明に戻るのだが当時の写真には日付なんか入っておらず、なかなか年代の確定が出来なくいて難しい。これからは西暦に元号を併記した年表を作ってみようと思ったが、ふと考えて、これに当時の大ニュースも加える事にした、たとえば自分の場合でも千葉御宿での合宿中にアポロの月面着陸を見た覚えがあるんで、こういうのも記憶を取り戻す材料になると思うからだ様々な材料を提供してどんどん記憶を取り戻して頂きたいと願っています、ネッ師匠。

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July 04, 2005

サーフィンワールド

blogSW11976年に創刊された石井秀明による「サーフィンワールド」を見ていたら、鈴木正氏による「日本サーフィンの歩み」という記事があり、1971年の第6回全日本選手権の記事を見つけた。「1971年8月15~16日、第6回全日本選手権、愛知県赤羽根海岸、初日の15日はやっとの波で予選を消化した。明けて16日、突然過去たったことのない場所にグーフィーの3~4フィートの波が起きた。波は完全にグーフィー向き、当時3~4フィートと云ったら過去の全日本ではなかったビックウエーブ。ジュニアはバックサイドで若干17才の関野が優勝、メンは出川と小室の一発一発で順位が入れ替わる程の激戦、皆の目に小室の方が良くうつったのは事実だった。しかし、どう云う訳か、バックサイドでやる方が得点が良いと云う理由で、小室のレギュラーに比べ、バックサイドの出川が優勝した。判定が幼稚であっても。幼稚さが通ってしまう程廻りが幼稚だったと云う事だ。 この大会をスタートに、名古屋、東海地区にサーフィンブームが起こった。伊良湖赤羽根ロングビーチ海岸は一躍全国に知れ渡った。 太平洋に面している関係から、11月~3月の風の強い日を除き、一年中波は比較的ある。近年は名古屋地区の人もレベルが上がり、近い将来、有能な選手を期待出来るかも知れない。」 以上原文のまま。

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お知らせ

いよいよ「伊良湖サーフィン史」もインタビューを重ねて、資料と共に充実しはじめ、読者も増えてきているようです。このblogでは、他の話題も数多くアップされているために、サーフィン史だけに興味をもたれている方には読みにくいかもしれません、そんな時は右側のカテゴリーにある「伊良湖サーフィン史」をクリックして頂くと、サーフィン史だけが現れて読みやすくなっていますのでぜひお試しくださいね。

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全日本

今回の取材の中で、中々1971年の全日本の状況に辿りつくことが出来なかったが、まったくの偶然から貴重な話を聞くことが出来た。当時の赤羽根にはガソリンスタンドがただ一軒「宮下石油」が旧ファミリーマートがあった信号のところにあり、サーファーは全員ここのお世話になっていた、私も実はガス欠で何度もお世話になったし、キーロックしてここのJAFのお世話になったサーファーが数知れないだろう、土曜の晩に偶然宮下康憲さんに会うことになり、彼の父で「宮下石油」社長の宮下辰夫氏が当時のサーフシーンや全日本に深く関わっていた事が判明した。伊良湖にサーファーが急激に増え始めた1969年、湘南からGODDESSの鈴木正社長が伊良湖へ訪れ、それが次ぎの年の全日本誘致となった、そして1971年全日本開催時には当時の主だった役員は全員が宮下宅に宿泊、大会前には、川井幹雄・TED阿出川・ドジ井坂・鈴木正・鈴木捷吾等、錚々たるメンバーがポイント探しを始め、その時点でロコポイントや港でのサーフィンが可能と判断されたようだ。そして大会会場となったロングビーチでは残念なことに当日まったく波が無く、役員が相談していた時に、宮下辰夫さんが「波の有るところ知ってる」という事になった、なんとそれは宮下家の菩提寺のある真下にある現在の「新日本」ポイントだったとされる。そして無事2日間に渡る全日本選手権が無事開催されたとのことだった。残念ながらこの大会での伊良湖勢に入賞者はいない、まだそこまでレベルが上がっていなかったようだ。そしてこの大会の後伊良湖はまるで戦国時代のようにショップが乱立しながら対立するようになり様変わりしていくことになる。

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幻の写真

blobpanchipanchi今回の「伊良湖サーフィン史」には多くのサーファーが興味を持ってくれており、様々な情報を頂いている。なかでも以前から気になっていたのが、カルロスから何度も聞いた「平凡パンチ」の写真だった、カルロスの記憶では当初全日本の時とのことだったが、これはすぐに間違いと判明、まだ年代不詳ながら、第1回のGODDESS大会後、ビーチでサーファーが大勢集まり、撮った集合写真が平凡パンチに大きく出たとの事、その写真が有れば、当時のサーファーが判ると言われていたが、なんせもう30年以上前の週刊誌、とうぜんながらカルロスが持っている訳も無く、まったくの幻となっていたのだが、何と昨日会長とのインタビュー中にカルロスがPOCKYの店内でその写真を発見し興奮して教えてくれた。どう考えても今のカルロスからは想像もできない若い時代の本人を初め、当時の主だったサーファーが大勢いて非常に貴重な写真だ、何でも会長の知り合いが、その平凡パンチを今でも残して持っているそうで、素晴らしいご対面となった。ただGODDESSとなると、恐らく73年頃と思われるが、今回の歴史編纂に関しては一応66年のサーフィンの始まりから71年の全日本開催までで区切りをつけるつもりなのでこの写真は番外編となりそうだ。参考までに左から2本目のボードの前に立つ横じま(ゴールデンブリード)のシャツを着ている。また一番前列右端はGODDESSの鈴木正氏、右から3人目の白いシャツが石塚義雄氏。

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確定

blogmituhiko
昨日ビーチクリーンの後で、今回取材中の伊良湖でのサーフィンルーツと考えられていた、鈴木光彦さんとのインタビューがありました。今回のインタビューでは先日の勝美さんの内容との照らし合わせを中心に行い、思い違いとかもありましたが、最終的に伊良湖で初めてサーフィンを始めたのはやはり鈴木光彦・鈴木勝美の両氏が1966年の8月、伊良湖ロングビーチでMALIBUのロングボードに乗ったのがルーツと確定しました。昭和21年生まれの光彦さんが19歳の時、プレスリーやベンチャーズの音楽や映画の影響でサーフィンというものに興味を持っていたそうですが、当時若者が多く集まったデパート「オリエンタル中村」の南大津通り側のショーウインドウにデコレーションとして展示されたロングボードに興味を持ち、その展示が終わった8月初旬、デパートと交渉して「34800円」で購入したのが始まりでした、また前回誤認でしたが、この時のMALIBUは凄く重かったもののすでにフォームを使ったものだったそうです。そして近所に住み、また親戚でもあった勝美さんを誘い、ブルーバードにボードを積んで、それまでも夏場に遊んでいた内海方面から波探しが始まり、とうとう渥美半島まで遠征したのが始まり、そして勝美さんの言うとおり、当時植物園だった弥八の展望台からロングビーチを発見したんだそうです。その1966年はやはりシーズンを通してWAXは知らず、大変な苦労だったとか、また波を探しながら探検のように渥美半島をドライブし、先端までも行っていたそうですが、やはりサーファーが誰もいないせいで波の良いロングビーチ以外に入る必要がまったくなかったので他には入らなかったとのこと。他からの情報ではロコや港等他のポイントに入るようになったのは1971年からという意見もありました。そして翌1967年には平凡パンチで日本サーフィン連盟の所在を知り、早速連絡を取ってTED阿出川さんを紹介され、TEDサーフボードを扱う事になり、ここで石塚・竹内両名が入り、このシーズンは4名でサーフィンをしたようです、また同時に平凡パンチでWAXの存在を知り、ろうそくで代用し技術アップに繋がった模様。またこの竹内さんの親戚が三重の安乗にいたことから、この時点で三重まで遠征してサーフィンもしていたとのこと。さらに素晴らしいことに1969年には何とハワイまで出かけてしまったそうです。このハワイの話は「カズくん」が詳しいそうなので次回改めて取材してみます。

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June 30, 2005

ロングビーチ

blog05
blog05
2枚ともにロングビーチでの鈴木勝彦さんのライディング、レベルの高さが充分に伝わってきます。撮影は鈴木光彦氏、恐らく1968か1969年頃。

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MALIBU

blog05
1969年頃、光彦さん所有の総バルサ製ロングボードを抱える鈴木勝美さん。白黒ながら雰囲気のある良い写真です。

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1969

blog05恐らく1969年頃といわれる珍しいカラー写真、ロングビーチでサーフィンするのは左から、鈴木勝美・鈴木光彦・竹内進の3名、撮影はカメラを抱えて胸くらいまで水につかり苦労して石塚義男氏の撮影だったそうです。

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会長

伊良湖で最初にサーフボードを入手してサーフィンを始めたとされる、鈴木光彦氏が現在でも皆から「会長」と呼ばれていることはご存知だと思います、が・しかし、その語源を知る人はいなかったんじゃないでしょうか。実は私も鈴木さんがTSAの会長だったせいで、そう呼ばれているものとばかり思っていました。これまた驚愕の事実が判明、1970年頃に増え始めたサーファーが20名程集まり、初めてサーファーの団体を作ります、これが「名古屋サーフィン連盟」(NSA)だったそうです、当時はだれもNSA(日本サーフィン連盟)を知らなかったとか?、そして初代の会長に鈴木さんが就任され、それ以降サーファーの間で鈴木さんを「会長」と呼ぶようになったそうです。どうです?ご存知でしたか???残念ながら翌年にはNSA主催の全日本が伊良湖で開催され、名古屋のNSAは知らない間に消滅してしまったそうです。

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御礼 m(__)m

maikerukatumi03昨夜インタビューをさせていただいた、鈴木勝美さんが左側、右はご存知マイケル師匠で、このお二人共昭和25年生まれの同級生だそうです。鈴木さんはもう1人の鈴木会長とともに1966年に伊良湖で初めてサーフィンをはじめ、当初はスープライダーでしたが、その後どんどんと上達し、1969年頃に伊良湖では一番の上級者だったそうで、後日アップしますが当時のライディング写真も何枚も頂きました。ただ残念なことに鈴木さんはその後1971年頃を境にサーフィンを止めてしまわれました、この頃が伊良湖でのサーフィンブームの第1期で急速にサーファーが増え、それにともない初めてのサーフショップ「ジェィビス」が今村さんの手により名古屋に出来ていらい、GODDESS・LOKO・EVIN・BELLSと今でも知られているようなサーフショップが乱立し、サーファーの囲い込みやら店同士の対立、金銭トラブル等が重なりいやになってしまったのが原因だそうで、こればかりは何処でも見られる人間の本能的な煩悩に由来するありがちなことで、妙に納得してしまいました。しかし鈴木さんの記憶力は素晴らしく約1時間半の休む間もなく楽しいお話を聞かせて頂きました、本当にありがとうございました。

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June 29, 2005

1968

maikerublog伊良湖でサーフィンが始まって3年目、いよいよ真打が登場してきます、当時高校3年生だった安部公司氏(マイケル師匠)はやはり鈴木さんたちと港区南陽町のご近所と勝美さんと同級生と言うことで海に誘われサーフィンデビューします。まだボードは無く会長のMALIBUを交代で借りてはサーフィンを楽しんだそうです、そしてこの1968年までがまさに伊良湖黎明期で今までの5名しかサーファーというものがいなかった時代でした。この写真は1969年のマイケル師匠の勇姿で場所はロングビーチからの旧道を上がった所に現在も建物が残る「旧公民館」前だそうです、そうしてこの1969年から一気にサーファーの数が増え始めていったそうです、名古屋からはすでの20名程になり、そろそろ豊橋でサーフィンを始める者も出始めたのがこの年でした。今でも現役で元気にサーフィンを続けているマイケル師匠は本当に伊良湖のレジェンドサーファーだったんです。

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1966

kaichoukatumi01今夜はマイケル師匠のご紹介で、伊良湖サーフィン黎明期に活躍された鈴木勝美さんにお会いして、様々な貴重なお話をお聞きし、また貴重な写真も頂くことができました。そこで判明したことはまったく想像もしていなかった驚愕の事実でした。何と驚くべきことに伊良湖でのサーフィンは名古屋の中心地「栄」がその始まりだったのです。1966年の夏前、当時栄のど真ん中にあったデパート「オリエンタル中村」(現三越)はヤング路線を走るお洒落なデパートでした、当時高校3年生だった私はもろにIVY小僧でVAN命でしたので、当時最先端だったオリエンタル中村の2階にあったVANショップに通う軟派高校生でした。ところがこの時このデパートの歩道に面したウインドウに夏シーズン用のディスプレイが始まり、その道具として一本のロングボードが飾られたんです、それを見つめていたまだ10代の青年は、何かを感じたのか、どうしてもそのボードが欲しくなり、デパートと交渉し、とうとうそのボードを手に入れてしまいました、当時の初任給は約18000円、そのロングボードはその倍に当たる35000円程だったそうで、裕福なお坊ちゃんだったはずです。その青年こそが伊良湖で始めてサーフィンをした、鈴木光彦氏で現在も現役として活躍中の通称「会長」と呼ばれている方でした。ボードを手にした会長は近所の後輩だった同姓の鈴木勝美氏を誘うこととなりました、そして運命の1966年夏、サーフィンの出来る波を探す旅に出た二人はさすらった挙句に渥美半島の赤羽根にたどり着き、当時は展望台とバンガローだけだった弥八に立ったのです。そこから見下ろしたビーチの風景は恐らく今とそれほど変わらなかったと思いますが、見渡す限りの海・波を見つめた結果、そのすぐ西側の下にそれらしい波が有ることを発見し、また未舗装だった42号から側道に入り、とうとうロングビーチを発見します、その当時のロングビーチは地引網漁に使われており、駐車場もそれなりにあったそうですが、見渡す限りサーファーはだれもいない状況で、この鈴木両人の二人だけのサーフィンが始まったのです。ボードはMALIBUの総バルサのロングボードただ一本、しかも当然のことのように情報の無い当時の事、WAXの存在も知らず、ライディングの基礎も何も判らない状態で、このシーズンはスープライダーで終わったようでした。しかし次ぎの年1967年には会長の叔父さんがTEDのロングボードを取り扱う事になり、TED阿出川さんが名古屋まで来たそうです、TEDさんと名古屋駅前のホテルで会った3人は、初めてここでサーフィンの8mmを見、また海外の雑誌を見たり、ここでWAXの存在も知る事になります。この時はTEDさんは名古屋だけの滞在で伊良湖には来ていないそうです。そしてこの1967年には両鈴木さんのご近所にいた若者2名をサーフィンに誘い込みます、この2名が伊良湖初のプロサーファーで名古屋GODDESSのオーナーでもあった石塚義男氏と竹内進氏でした、そして勝美さんはこの年初めてTEDのロングボードを購入します。このシーズンはひと夏この4人だけでサーフィンを楽しんだそうです、当時はロングビーチ以外のポイントはまったく知ることも無く、またその必要もなくロングビーチ貸切で好きなように楽しんだようです。この写真がその当時1967年のロングビーチ、向かって左が鈴木光彦氏とMALIBUのボード、右が鈴木勝美氏とTEDのボードです、バックの弥八への距離から考えて、現在の坂下あたりでの写真と思われます。いやはや全く「事実は小説より奇なり!」そのものですね。今日は本当に良い勉強になりました。

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June 27, 2005

何時・何処で・誰が?

昨日大会終了後、マイケル師匠と伊良湖の歴史について有意義なお話を聞く事が出来ました、まだその年代は1968年か9年か確定していませんが、どうもそのあたりのようです。残念ながら私はまだ面識がないのですが、以前ゴッデスの鈴木さんからもお聞きした今村さんと、ロッキーの鈴木さんがキーパーソンであることには間違いないようです、すでにお二人には師匠から当時の資料を見せて頂きながらお話を聞けるよう準備が進んでおり、想像を絶するような当時の写真が残っていることまで確認されていて楽しみです、この企画は良いタイミングだったみたいですね。

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June 24, 2005

サーフィンの歴史

ボードにうつぶせになって波に乗るブギーボードは昔から太平洋沿岸、西アフリカの各地で盛んだったことが知られていて、ボードの上に立ち上る今のサーフィンにまでテクニックを発展させたのは、世界中でハワイアンだけ。つまりサーフィンは、まぎれもなくハワイ生まれのスポーツ。事実1778年、南太平洋の島々を旅した後ハワイ諸島を訪れたキャプテン・クックは、ハワイアンが海を自由自在に泳ぎまわり、板の上に立って波に乗るのを見て驚愕。日誌に「…こんなに珍しく難しい危険な操作(サーフィンのこと)ができる大胆さは、驚きに値する」と書き残している。またクアナル(崩れる直前の波)、クアパ(崩れる最中の波)、ララハラハ(高まる波)など波を表すハワイ語がいくつもあることでも、ハワイアンが波のエキスパートだったことがよくわかる。古代ハワイでは王族も貧民も老若男女がサーフィンを楽しみ、コンテストもよく開かれた。カメハメハ3世はサーフィンの名手だったことで知られるし、大酋長カライモクは60歳を過ぎても、直立で腕組みしながら背丈より高い波を乗りこなしていたといわれている。王族は4、5メートル、100キロもあるオロと呼ばれた大型のボードを使い、庶民はアライアと呼ばれた2メートル前後、10キロ以下のボードを使った。ビショップ・ミュージアムには数百年前に作られたというハワイ最古のボードや、有名な酋長が使っていた70キロ級のコアの木のボードなどが今も残っている。このボード作りは神に通じた神聖な作業で、宗教儀式にのっとって行なわれた。ボードを作る木を選んだら、まずは根本に供物を捧げる。その上で木は倒され、必要な木材を切り出す。そしてボードが出来上がると祈躊師が祈りを捧げ、初めて海で使うことができた。ハワイアンはボードをそれは大切にして、使うたびにククイの木の皮で作った樹脂をワックス代わりに塗り、手入れをした。海から帰るとボードをよく乾かし、木の皮で作ったタパ布で丁寧に包んで、宝物のように扱ったという。またサーファーは海で神に祈り、特別な呪文を唱えながらレイで海面を叩いて良い波を呼び寄せようとした。このことからも、大海原のただ中で自然(波)に挑むサーフィンは、その昔スピリチュアルな側面ももつ特別なスポーツだったことが伺われる。このように古代ハワイの代表的な娯楽だったサーフィン。波のいい日は村中総出でサーフィンに出掛け、畑や諸々の作業場が空になることも珍しくなかった。コンテストはもちろん、腕のいいサーファーが勝負する時にはギャンブルも行なわれ、ビーチに陣取った見学者がワイワイはやしたてお祭り騒ぎになったという。1821年、ボストンからハワイを訪れたキリスト教宣教師たちが、こんな様子を気に入るはずはなかった。加えてすでに述べたようなサーフィンにまつわる宗教性、そして当然ながらほとんど裸同然の、サーファーたちの様子…。ハワイアンにキリスト教の倫理観を押しつけようと、ハワイ固有の文化の否定に躍起だった宣教師たちは、サーフィンをも「バカげた、無駄なアクティビティ」の項目に分類。フラダンスなどと同様、迫害のターゲットとした。それまで生活の中心だった娯楽を突然「悪いこと」と決めつけられ、しかも宣教師たちに「遊んでばかりいないで働け」と追い立てられるようにして、ハワイアンたちは次第に海から遠ぎかることに。こうして1900年前後までにサーファーはほとんど姿を消し、サーフィンはほぼ「過去のスポーツ」になってしまった。ごく少数がワイキキ周辺で時折波に乗っている、というありさまだった。もっともサーフィンの衰退は、宣教師の迫害だけによるとはいえないかもしれない。キャプテン・クックがハワイ諸島を発見し、西洋社会との交流が始まるにつれて、ハワイには風疹、結核など西洋の伝染病が蔓延。ハワイアンの数が短期間に激減した。つまり、単にサーフィンをするハワイアンそのものの人口が減ったことも、サーフィン衰退の一因になったといえそう。こうしてほぼ火が消えかけていたサーフィンだけれど、20世紀初頭、ワイキキから徐々に復活の兆しを見せ始める。当時増えつつあったワイキキの白人観光客たちが、サーフィンに注目。ハワイアンらをまねて、サーフィンを始めた。続いて「近代サーフィンの父」といわれる、デューク・カハナモクが登場。優れた水泳選手でサーファーだった彼は1912年、ストックホルム・オリンピックにアメリカ代表として出場。100メートル自由形で世界記録を塗りかえ金メダルを勝ち取って、一躍「時の人」に。デュークはハワイの親善大使として世界中を周り、各地でサーフィンを披露。そして徐々にサーフィンを広めていった。サーフィン人気に本格的に火がついたのは、1959年。それまでの木製ボードに変わって発泡ポリエチレンなど合成素材のボードが登場し、その使い勝手の良さ、手入れのしやすさ、安価なことなどから、多くの若者がサーフィンに挑戦するようになった。その頃いわゆるサーフミュージックがお目見えし、続いてサーフィン映画がブレイク。世界中にサーフィン人気が浸透して、70年代までにハワイ、カリフォルニアをはじめオーストラリア、∃ーロッパ、ペルーなどの南米、南アフリカ、日本など、それこそ世界中で楽しまれるようになった。白人宣教師の迫害で一時歴史から消えかけたようにみえたサーフィンは、それから百年以上を経て、こうして見ごとに復活。再び老若男女が楽しむハワイの、いや世界の人気スポーツとして脚光を浴びることとなった。

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サーフィンの歴史

日本のサーフィンが産声を上げたのは1960年の頃、アメリカ人が湘南や千葉の海でサーフィンを楽しんでいるのを地元の少年たちが模倣して自作の「フロート」と呼ばれたボードで初めたのが最初だといわれています。そして1965年にはその青年たちによって日本サーフィン連盟が発足し翌年の7月には第1回の全日本選主権が99名の選手のなかで競われました。      NSAホームページより

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全日本

1966年から始まった全日本サーフィン選手権は、1971年8月15・16日と伊良湖赤羽根海岸で開催されている。現在赤羽根漁港の堤防は当時の面影がまったく無くなっているが、旧堤防、港センターのところがポイントになっていて「港」と呼ばれていた、当時まだ東京にいた私は立ち会っていなかったが、聞いた話では当時メジャーだったポイント、ロングビーチ・ロコ・港がまったく波に恵まれず、それまでサーフィンをすることもなかった、港から見て西にあるポイントが、そこだけ波が立ち、急遽全日本はその新しいポイントで開催され、それが現在の「全日本」と呼ばれるポイントの語源になっている。当時の雑誌で全日本を観戦中のLOKOチームの集合写真を見た覚えがあるんだけど、その雑誌はすでに無い。当然地元伊良湖からも選手として出場したはず、そのあたりの詳しいお話をぜひ聞きたいと思ってますが、選手として参加したサーファーをご存知の方、ぜひご連絡ください。

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June 23, 2005

募集いたします

先日の「伊良湖サーフィン史」資料の募集を始めます、まず最初に1960年代に伊良湖サーフィンに関する資料を集めたいのですが、もし当時の話を聞かせて頂けたり、当時の写真や印刷物をお持ちの方はぜひご一報下さい。一番知りたいところは、伊良湖でのサーフィンは何時頃・何処で・誰が始めたのか? ということなのでどんな些細な事でも構いませんのでぜひお願いします。PCを使える方でしたらぜひメールでお知らせ下さい、またビーチでの聞き取りも始めたいと思っていますのでご協力をお願い致します。またここを見ていない古いサーファーの方々への告知もぜひご協力下さい。

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June 21, 2005

お願い

実はずーっと前から考えていた事があるんです、僕がサーフィンを始めたのは1967か8年だと思うんだけど、当時は東京在住の学生だったんで、行くのは湘南がメイン、78年に千葉でバイトしてからは千葉へも行くようになったし、卒業と同時に仕事で派遣された先の和歌山でも半年間サーフィンやってました、ただそれまでの間、伊良湖へは本当にたまに夏休みに帰郷した時に行く程度で恐らく1年に1回行ったかどうか。真面目に伊良湖へ通うようになったのは74年頃からだと思う。そんなわけで、僕は伊良湖でのサーフィン発祥の時期に立ち会っていなかった、当時はまだ伊良湖のゴッデスもロコもそれぞれショップがあった時代で石塚くんとターザンの黄金期だったよね、そのあたりからの記憶はそこそこあるんだけど、それ以前の事はほとんど知らない。以前NALUの編集者から伊良湖の歴史について聞かれた時も答えられなかった。その頃から何時かはインタビューやら資料を集めて伊良湖のサーフィン史をまとめてみようと考え続けていた、早くしないとそろそろ当時のサーファーが消えていくかもしれないし、おそらく当時の貴重な写真もほっておけば消えていく運命だろう。ちょうど今回フッと時間が出来たので、これを始めようと思ってます。これからじょじょに古いサーファーからインタビューを始めてみたいと思ってますし、伊良湖の記事が載った資料も探し始めます。そこでお願いなの