February 12, 2008
’86 Balihigh Cup
このシーズンからJPSAは新しいジャッジシステムを採用することとなり、QFからはマンオンマンとなりASOルールを採用。しかしそこまでの4人ヒートではNSAルール適用と統一感に欠け選手からの不満も多かった、これも過渡期の出来事、特にブイを使っての優先権が始まったのはこの大会が始めてであった。またシステム変更ということもあり、なんとヘッドジャッジは新理事長川井幹雄自らがあたることとなった。
’86 Balihigh Cup
ファイナルの接戦を5-0のパーフェクトスコアで勝利したのは久々の勝利となった関野聡であった。表彰式でのプレゼンターはTSA会長だったEVINの日比野健一、お若いです。コールするのはJPSA理事長川井幹雄。
’86 Balihigh Cup
1986年4月26日・27日の二日間に渡りロングビーチで第二回Balihigh Cupが開催された。当時東海地区で開催される唯一のプロコンテストということで観客は5000名を越える大きな大会となった。残念ながらまたしても波には恵まれなかったが新たな組織となるJPSA初大会で役員・選手共に燃え上り熱戦が繰り広げられた。2連覇を狙う久我孝男の前に立ちふさがったのは伊勢の福田義昭、セミファイナルでは4-1で久我を抑えてファイナルに進出し、関野聡との一騎打ちとなった。写真は左から関野聡・福田義昭・久我孝男。
February 07, 2008
’85 Balihigh Cup
ファイナルの結果は5-0で久我孝男の圧勝だった。見事Balihigh Cup初の勝者となった彼には賞金60万円とバリチケットが贈られた。まさに孝男時代の幕開けであった。
’85 Balihigh Cup
久我対坂本の一騎打ちはまさに実力というかプロの厳しさで久我のブロックに坂本が敗れてしまった。当時のサーフィンライフの記事にはこうある、「サーフィンだけでは勝てない場合だってある。今回のコンテストはたしかに波がなかった。プロのコンテストを行うには不十分なコンデションだったかもしれない。しかしコンテストが最高のコンデションで行われる可能性は極めて低い。プロの中にはコンテストはオンショアで行われるものと決めつけている選手もいるほどだ。しかしコンテストは自分のサーフィンを相手に戦わせることだけではないことが、このコンテストでわかった。それには試合のタクティス、そして経験が必要だということ。久我は藤村、坂本相手に執拗なほどのブロックを行ったことについてこう語った。「波があれば、自分のサーフィンをすれば勝てる、でも、このコンデションじゃ、いい波を捕られたらどうにもならないでしょう。それには波に乗せないようにしなくてはね。」つまりどんなに実力があっても勝てないこともあるということ。それだからコンペテションはおもしろいのである。好調だった坂本にしても久我のブロックにはどうにもならなかった。これは明らかに経験不足、世界中の猛者を相手にしてきた久我との差である。いかなる場合でも、自分が勝つにはどうしたら良いかと考えること。それが経験であり、タクティクスなのだ。」
’85 Balihigh Cup
この大会が何で4月だったのかは忘れましたが、JPSAのシーズンインを飾る第一戦ということで注目度も高かったので正解だったのかもしれません。しかしこの時期の伊良湖で2日間に渡ってベストな波に巡り合うのは至難の技、これだから大会運営は辛いんですよね、この85年の時も20日は低気圧が通過した後でウエイティングの後始まったヒートはサイドながらも2~3フィートで大会としては充分なサイズ。トライアルからメインラウンドまで順調に進み、地元からは尾崎充洋プロが見事メインラウンドに進出しました。しかし予想通り翌21日には一気にサイズダウンして力の無い腰サイズと物足りない波となりましたが、逆にまったくミスを許されない波ということで実力がそのまま出る結果となりました。結局ファイナルを戦ったのはこの久我孝男と新鋭坂本清克の二人でした。
February 06, 2008
’85 Balihigh Cup
13ページも広告、「HALATION」はKIKIで一緒にサーフィンやってたジミーのショップだが、今では海から離れてしまった。全日本常連のマーボーがいる「NORTH SHORE」、それにこれを見ると判るけど小林隆の「SELECTION」はこの年にオープンしている。14ページには誠に場違いながら私の実家である「菊川㈱」も掲載されていた。以上でパンフレットの紹介は終了します。裏表紙は先日紹介したBaliHighの広告になったいました。
’85 Balihigh Cup
10ページにあるのがアマチュア対象にしたサーフィンツアー「BalihighCup」でTSAの大会として年間3戦を行いチャンピオンを決めるものだった。この大会は茂紀くんが担当だったのであまり記憶がないが賞品総額300万円とは思い切ったことやったもんだ。11ページにはTSAの大会日程表がある、どれもロングビーチで開催されたものだ。当時の大会はほとんどがロングビーチでのもの。というか当時のロコポイントは駐車場もなくとても大会を出来るような状況に無かった。広告にある「COUNTRYLINE」は現在の「FOLLOWS」前身である。
’85 Balihigh Cup
7ページにはシードされた選手のヒート表がある、大会前から続々と選手が伊良湖入りしていたが、港の上から見ていたら若くて知らない顔のサーファーがめちゃめちゃ上手くてビックリ、上がってきてあまりのイケメンに二度ビックリしたのが始めて会った坂本清克であった、たしかフィットシステムだったウエットも始めてみるもので気になったことを今でも覚えている。何とこの坂本は結局ファイナル進出の快挙をなして孝男と戦うこととなった。9ページにはいよいよ地元出身の選手達が登場する。JPSA公認プロは2名、最近よく取り上げている柴田賢次とあまり顔を見なくなった尾崎充洋だ、二人ともスポンサーにはガルーダコーポレーションが付いていた。また地元推薦枠で出場したアマが4名。今はキーパーのオーナー鈴木弘章、豊橋のショップオーナーだった板倉秀夫、今でも先端や岩場の波が良くなると登場する本多信明、ロングボーダーとして活躍中の杉浦仁の4名。広告に出ている豊橋の「WaveColor」オーナーだった神道さんはその後残念なことに海で亡くなってしまわれた。
February 05, 2008
’85 Balihigh Cup
4ページは85年度TSA役員名簿、懐かしい名前のオンパレード、会長の近藤茂紀・事務局長阪野益治・会計監査大脇茂は海から離れてしまった。今でも元気なのは当時の副会長で今もエビンオーナーの日比野健一とポイントサーフの小山友久。また常務理事のショップでは現役のショップも多い。HOTEODの広告を見ると当時は3店舗あったんだ。また5ページにはこの大会にエアーチケットを提供してくれたガルーダ・インドネシア航空の広告があるが、わざわざ東京までお願いに行った記憶がある。ドゥビーとは仲良くしてたけど今はどうしてるのかな。6ページは前年度JPSAファイナルレーティングがあり、当時のトッププロの名前に混じり31位に地元の柴田賢次が登場している。
’85 Balihigh Cup
いよいよこれからBalihigh Cupの資料連載を始めます。85・96年と二度開催されましたが、大会パンフレットを作ったのは最初の85年だけでした、恐らく予算が無くなった来たのかな?当時印刷した冊数は判りませんが、大会会場での配布や関係者・ショップ等に配ったので相当な部数だったと思います。現在は手元に2冊だけが残っており、今後の貴重な資料になるかもしれません。取りあえずはこのパンフレットの全ページを紹介していきます、広告も多いのですが当時の様子や物価も判るので敢えて全部にしました。それでは3ページずつ紹介していきます。 トップページは全開も一度使いましたがBalihighのラベルを作ったデザイナー「中尾豪介」のイラストが使われています、細かいところにも遊び心が一杯で楽しい絵になっています。たしか86年には彼の原画を使って大きなカラーポスターを作りましたがどうしても見つかりませんでした。どなたかお持ちの方がおられましたらぜひお知らせ下さい。1985年JPSA PRO SURFING TOUR Balihigh Cup 4/20・21、賞金総額150万円。
2ページは「RASH」の一面広告。3ページには当時の東海サーフィン連盟(TSA)会長 近藤茂紀と、スポンサーとしてガルーダコーポレーション武藤恒志、つまり私のご挨拶がございますので再現いたします。
ごあいさつ 東海サーフィン連盟(TSA)会長 近藤茂紀
中部地区におけるサーフィンの歴史は1960年代に始まり、すでに20年近い歴史をもっていますが、私達の見つけたポイント太平洋ロングビーチに於いて、我が国のトッププロサーファーを一同に会した今回の「バリハイ カップ」のような大会は始めてのことであり、このような大会が開かれることはこの地区の為に非常に有意義なことであると思います。特に一部のサーファーと称する非常識な人々のおかげで一般の人達からすべてのサーファーが少なからず誤解を受けている現在このような素晴らしい大会が開催されますことは立派なスポーツとしてサーフィンの素晴らしさをアピールする絶好の機会であります。これからもTSAは10万人といわれるこの地区のサーファーに対して正しいサーフィンが普及するよう努力を続けていきます。 また、この場をお借りして、いつも友好的にご協力を頂いた赤羽根町の方々と、サーフィンというスポーツに非常に理解をしていただいているメインスポンサーのガルーダコーポレーションに深く感謝いたします。
ごあいさつ ガルーダコーポレーション 武藤恒志
我々のホームグラウンドである渥美郡赤羽根の太平洋ロングビーチにおいてJPSA公認の85年度プロサーフィンサーキット第一戦の「バリハイ カップ」が開催されることは中部地区におけるサーフィン文化発展の為に大変喜ばしいことであります。 また、若い人達が自分の眼で我が国の第一線のプロサーファーのライディングを見ることができるということは、彼らに素晴らしい希望と夢を与えてくれるものと確信しています。どうか出場されたプロサーファーはその実力を充分に発揮し、期待に答えて頂きたいとおもいます。また、当社ではこれからもサーファーの地位向上の為にこうしたイベントを続けながら皆様と一緒に発展してゆきたいとおもっております。 最後に、本大会の為に大変な努力をしていただいたJPSA・TSAの役員の方々と、ご協力いただいた地元赤羽根町の皆様に心からお礼を申し上げます。
January 29, 2008
鈴木康弘
久我孝男に続いてBaliHighのライダーとなったのはJPSAのプロになったばかりで注目を浴びていた伊豆の鈴木康彦だった。契約したのは1985年となっているのできっとBalihigh Cupの直後だったのだろう。当時はまだ本人が未成年だった為に契約したのは亡くなったお父様、鈴木泰彦氏であった。現在鈴木康弘はJPSAのプロロングボーダーとして大活躍中である。
January 26, 2008
DA.CARLOS?
85’Balihigh Cupのパンフレット裏表紙なんだけど・・・
当時Balihighをやってた3人がここに入ってるのよね
帽子もってBalihigh売りにご挨拶中なのが私、もうハゲとるな!
サーフボードの横に立ってる背の高いのが近藤茂紀
そんでもってバーテンさんがカルロスのイメージなんよ
しかし・・・このお店の木枠ってそのまんま今のDA.CARLOSじゃんか!
まさに時代は繰り返す・・・そのものじゃーーー
BalihighCup
70年代の資料を探しながら本棚のチェックしているとついつい横道にそれてしまい、80年代の雑誌に見入ったりしているうちに、85年・86年にロングビーチで開催した「Balihigh Cup」に記事を見つけました。もうそろそろ20年以上も経ち記憶の薄れる頃なので一度取り上げようと思い立ち、他にあった資料も探し出しました。残念ながら当時のポスターを見つけることは出来ませんでしたが、パンフレット始め貴重な資料が見つかりましたので2月に入り次第特集で取り上げていきます、お楽しみに。
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