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May 29, 2020

J.S.O 高橋太郎

Jso3

1975年に発行されたJ.S.Oパンフレットに掲載された3名の方々のご挨拶を掲載させて頂きます。当時の状況やサーフィンの歴史まで今となっては貴重な資料ですので出来る限り原文に忠実にさせて頂きました。まずは現在NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブ最高顧問の高橋太郎氏。
「日本にサーフィンが入ってきてもう16年以上になり、日本サーフィン連盟が10回目の大会を盛大に行い、今迄連盟(NSA)を盛り立てて来たサーフィンのパイオニア達がプロの連盟であるJ.S.Oを結成してNSA共々協力し合って、いよいよ日本にも本格的サーフィンの国として世界の“波の仲間”と対等にやって行ける時代を迎えつつあります。事は大変喜ばしい事です。今迄アマチュアの一級選手としてライディングしてきて今回プロに転向したトップサーファー達には、又新たにプロとしての心技両面に渡るあらゆる厳しい難問に遭遇するでしょうが日本のサーフィンを代表する者としての自格をもってほしいと願っております。私が始めてサーフボードを作ったのはもう16年位前になります。当時日本にはサーフィンのサの字もなく、日本ではサーフィンをする事は不可能だと言う観念が一般的でした。海が大好きな仲間と日本でもサーフィンが出来るのではないか?と思い始めすぐ作る事にしてはみたもののどんな形をしているのかさえ分かりません。ハワイ観光旅行のパンフレット、雑誌の切扱、などサーフィンが出ている物だったら何でも集めました。子供の絵本までも!やっと形の概略が分り、さあ作ろうと思ったが材料が分りません。ベニヤ板と丸太と細い棒等で2週間もかかってやっと長さ3m巾58cmの中空のボードが出来上がりました上にペンキを塗り水が入るからとサラシ布をまいてペンキで固める等いろいろ作りました。スケッグの取付方、反りの出し方、防水の仕方等今ではあたりまえの事が一つ一つ重大な難題でした。土曜日の晩にはまだ乾かないペンキにドライヤーをかけながら明日の波乗りの事を考え仲間と夜通し話し合いました。初めて米国製のボードを見たのは葉山の一色海岸です。まずその美しい曲線光沢に驚いたものです。何で出来ているのか?どうしてこんなに軽いのか?寝れぬ夜が続きました。ボードがファイバグラスとウレタンフォームで出来ている事を知ったのは葉山の外人がグレックという名前でGIの息子でありアメリカではサーフィンが大流行しているスポーツだと言う事が分ったあとでした。当時日本にはそんな材料は殆んどなく毎日毎日東京中の会社を捜し歩きました。町で走っているトラックにそれらしい物がつんであるのを見つけて追かけつかまえてたずねたら、硬質ウレタンでガッカリした事もあります。海岸で同じ自作ボードの仲間と会った時など材料は何をつかったか?どんな構造か等話し合って情報を交換しました。バルリ材のレンガ積、スチロールの尿素樹脂固め、ベニヤとスチロールのサンドイッチ等、又皆自分の新作ボードを自慢し愛していました。3m18kgのボードを大切に大切に砂の上にもソーッとおいたし、海から上がって家に帰ると真水で洗ってワックスをかけ部屋に飾て眺めていたものです。海岸で車ですれちがう時も必ずあいさつのサインをしました。当然の事ながら今ではサーフボードが欲しければ、デパートにでも売っているし、立派な先輩達が親切にサーフィンのNOWHOWを教えてくれる。外国の雑誌も沢山ある。大変めぐまれた中でサーフィンしています、でもこれからの日本の代表となって行く若い人達に是非お願いしたい事があります。サーフィンは精神のスポーツです。今迄そして今、日本を代表するサーファー。川井。井坂、小川、鈴木、出川、長沼、小室等々のトップサーファー達は皆、少くとも、どうしてボードを手に入れるか?どうやって乗るものか?等日本の草分け時代の感覚をやしなって来た人達です。自作のボードからロングボードそしてショートボードへとサーフィンはテクニック、システム、等色々な面で進歩して来ています。そして素晴らしい大会も続々と開かれます。しかし何か欠けているような気がするのです。サーフィンに対する情熱ボードに対する愛情、海に対する、仲間に対する何かが!私は若いこれからのサーファーにその何かをよく考えて欲しいと思います。私達は日本のサーフボードとNSA・JSOというプロアマ両方の組織の土台を創りました君達は何を創るのかを! J.S.O公認ジャッジ J.S.O公認指導員 ダックスサーフボード 高橋太郎

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