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December 28, 2010

第0次世界大戦

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昨夜まったくの偶然でタイトルに惹かれて録画した番組を今朝ゆっくりと見てみた、最近言われているようなんだけど日露戦争を20世紀初の世界大戦として見る研究についての内容で今まで眠っていた各国の資料を調べて検証してておもしろかった、今も昔も世界は国益という陰謀の中で動いているようだ。妖怪山県有朋ですら現在の政治家に比べると頼りがいがありそうに見えてきてしまう現状が情けない。
旧満州の旅順。かつて日露戦争で激戦となった地域。港は50隻の軍艦で埋め尽くされていた。当時の要塞が観光地となっている。日露戦争は砲弾など近代兵器が使われた最初の戦争といわれる。司馬遼太郎の描いた「坂之上の雲」、あれから40年、日露戦争は世界大戦だったのではないかという研究が進んでいる。ロシアの公文書に、ロシアが日本と講和を結ぼうという計画があったことが記されていた。イギリスはロシアとの領土拡大にとって、日露戦争は歓迎すべきものであり、ドイツはロシアを焚きつけていた。アメリカはパワーゲームに加わろうとしていた。日露戦争の背後で欧米列強の思惑が渦巻いた。19世紀、欧州列強の植民地分割が進み、それは清王朝だった中国にも及んだ。旧東清鉄道はロシアが敷設した。「満州里」という街はロシアによってつくられた。今でもロシアの兵舎跡が残る。ロシアは鉄道を守るという名目で続々と兵士を送り込んでいた。軍事動員して進めた鉄道建設はロシアの国家プロジェクトだった。首都サンクトペテルブルグとウラジオストックを結ぶシベリア鉄道は、中国国内の地域にも鉄道を敷いた。それが東清鉄道だ。指揮したのはウィッテ。石炭などを運ぶ大きなメリットがあった。10年を費やして建設された。日本はというと、まだ貧しい国で、弱肉強食の帝国主義時代、日本はロシアの南下に危機感を抱いていた。その利益線は朝鮮半島にある日本は、独立を維持するためには守らなければならない一線があった。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世がロシア皇帝のニコライに送られた文書には、黄色人種・仏教徒からキリスト教世界を守れと記されていた。黄色人種が災いをもたらす!という考えを持っていた。ドイツはロシアにアジアを向くよう仕向けていた。何故ウィルヘルム2世はそうしたかったかというと、ドイツはイタリアなどと三国同盟を結んでいた。対するフランスは露仏同盟を結んでおり、ドイツはロシアの目を極東に向ける必要があった。ロシアの軍勢を極東に向ければ、ドイツはロシアを恐れる必要が無くなり、逆にフランスに攻め入る機会をも獲得することができるからだ。ロシアはこの誘いに乗る。ロシアの極東進出に危機感を持ったのがイギリス。北京が重大な危機に晒され、イギリスは揚子江中心に大きな利益を得ていたが、それが脅かされることを恐れた。ロシアが清朝に圧力をかけて、イギリスの権益を奪うのではないかと考えた。ロシアは東清鉄道敷設に伴い昴昴渓という満州の町にも進出。ロシアは低賃金で中国人を雇い、働かせた。中国人の反発が強まったが、逆に旅順の租借も決めた。南満州鉄道の建設も始まった。しかし中国人労働者などが義和団事件を起こし、運動は満州全土に広がった。ロシアは11万人の兵力を派遣してこれを鎮圧。日本はこのロシアの兵派遣に大きな危機感を抱き、小村寿太郎は外交交渉によって、朝鮮半島の権益を守ろうとした。いわゆる「満韓交換論」である。小村はウィッテとの交渉に臨むが、案は受け入れられなかった。日露交渉決裂後、イギリスロンドンで、ある大きな動きが起こる。ドイツ皇帝ウィルヘルムがイギリスが同盟国を求めているという情報を得て、その相手に日本を勧めようと考えた。20世紀初頭、世界にケーブルが敷設され、情報革命が起きていた。通信が早く行われるようになり、ドイツは日本の駐英林公使に、ドイツ・イギリス・日本の三国同盟を提案してきた。山県有朋はこの話にいち早く乗る。林はイギリスでその真意を探る。イギリスは当時アフリカのボーア戦争において疲弊し、中国での他の欧州諸国の進出にも気をもんでいた。キール・ニールソン海軍大学校教授は「イギリスは日本の海軍力を求めていた。」という。日英同盟はこうして成立し、ロシアを仮想敵国とした。この同盟にいち早く反応したのはドイツ皇帝ウィルヘルム。しかし三国同盟を持ちかけておきながらドイツは最後まで日英に加わることはなかった。ドイツは待てば待つほど有利になると踏んでいた。ロシア皇帝ニコライ2世は満州からの兵力撤退を進めると宣言した。その一方でシベリア鉄道は順調に稼動していった。そしてもうひとつの大国アメリカ。欧州中心の情勢から、アメリカは世界一の工業大国となり影響力を強めていった。製品の購買先を求めて、中国へと進出しようとしていた。その大きな障壁となったのがロシア。ロシアの撤兵はなかなか進まずに、アメリカは苛立っていた。1903年4月、アメリカは満州政府の解放を求めてロシアと交渉。ロシア軍の撤兵が進まないことに清国の晋親王も苛立っており、親王はアメリカの圧力を利用しようとした。小村寿太郎外務大臣は北京の日本公使に指示を出し、清国との条約を締結するようにした。アメリカの門戸開放政策推進に日本も乗っかろうとした。日米は清国との通商条約を締結。アメリカは日本を支援するということになった。アメリカは日露間で衝突があるかも知れないことを予測し、日本を支援しようとしていたのである。共同歩調をとった日米に対し、ロシアは門戸開放を承諾したが、ロシア兵力は撤退完了しなかった。日露同盟案。ロシアの公文書から新たな発見がされた。この同盟案は日本が提案した案に歩み寄るものだった。しかしこの後の交渉記録は無い。御前会議で交渉断絶が決議され1904年2月8日、日露開戦。日本は優位に戦況を進める。開戦を待ち望んだドイツ皇帝はここの時点でも、ロシアをけしかける文書をロシア皇帝に送っている。アメリカのルーズベルト大統領は、日本の優位な戦況を喜んでいた。その後、戦況は徐々にイーブンペースになっていった。その戦況をもっとも注意深く見ていたのがルーズベルトだ。「日本が戦争に勝ったらその果実を横取りされないようにすること」が指示されていた。ルーズベルトの仲立ちで講和条約が交わされた日露だった。日本は朝鮮半島の権益と満州の鉄道を得た。しかし満州の権益を巡って、今度は日米の対立が芽生えていった。日露戦争の影響は欧州にもおよび、イギリス・ロシア・フランスの同盟が結ばれて、ドイツが孤立する結果となった。ドイツは第1次世界大戦を引き起こし、そして第2次世界大戦では日米が闘うことになった。日露戦争は世界を巻き込んだ大きな戦争の端緒となった。

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