blogオープン!
今日の記事にもある元JPSAプロサーファー「池田光孝」くんが新しくblogをオープンいたしました。良い波情報も満載だし写真も良いですよ。美味しい話題もあるのでぜひご覧下さい。
「ヨットで波乗り&伊勢海老探し」
今日の記事にもある元JPSAプロサーファー「池田光孝」くんが新しくblogをオープンいたしました。良い波情報も満載だし写真も良いですよ。美味しい話題もあるのでぜひご覧下さい。
「ヨットで波乗り&伊勢海老探し」
大学4年のまさにピークだったころの2枚で、左はスラロームの練習中、当時憧れてたのがフランス流だったのでセーターもおかにもフランス、スキーはロシニヨールのストラート、ブーツだけはどうしてもレタポアが合わなくて最先端だったラングコンペでした。右は五大学対抗戦大回転で会場は志賀高原東館山、前年に勝っていたのでまさに大本命でしたが転倒してパーァだったような?スキーは大回転用のフィッシャーメタルで2m10はあったんですよ、ウエアーは全て光物・・・派手好きは当時から変わってませんな~。
何年前なのか思い出せなかったけど手に付いてるシーズン券が97になってるんでもう10年以上前になるんだ、この頃は良くエコーバレーに通ってたし、ナイターまでやってた元気一杯の頃だ。ナイターでは当時息子のコーチだった竹ちゃんがトップを滑り、僕と息子が付いて滑るのが基本だったけど、結構良い感じだよね。
同じ年の7月に開催された丸井プロでは当時GODDESSに所属していた柴田賢次と池田光孝がそれぞれ入賞している。珍しいのが観戦中のGODDESSメンバー、ご本人の感想をお待ちしています。
丸井プロ・サーフィントライアル第3戦
1982年7月 伊勢
1位、渡辺文好(40万円)
2位、岡野教彦(16万円)
3位、田畑克彦(8万円)
3位、柴田賢次
5位、湯山美佐男(3万円)
5位、遠藤英二
5位、添田博道
5位、山崎市郎
9位、磯崎富雄(2万円)
9位、竹末和正
9位、粕谷修自
9位、善家誠
9位、三橋敬一
9位、千葉公平
9位、池田光孝
9位、金子一則
記事には「関西出身で湘南で修行中の池田光孝は、先に行われた阿字ヶ浦マスターズで堂々3位入賞し、念願のJPSA公認プロになったばかりである。しかし、メインラウンドで岡野教彦と当たり、はりきりすぎたのか、健全燃焼したが、阿字ヶ浦以上の成績は難しかった。」
この大会は記憶がなかった!何と伊良湖出身のプロ「柴田賢次」が2位に入賞している。これは恐らく伊良湖から出たプロの最高位ではないだろうか。ご本人もここの愛読者だそうなんで次回はじっくりインタビューと撮影でもさせていただくとしましょう。
JPSA公認
第2回丸井プロサーフィンコンテスト
1982年6月 湘南
1位、竹末和正(40万円)
2位、柴田賢次(16万円)
3位、岡野教彦(8万円)
3位、金子一則
5位、湯山美佐男(3万円)
5位、善家誠
5位、奥田新志
5位、滝本利範
9位、畑中正明(2万円)
9位、渡辺文好
9位、田畑克彦
9位、清水勝則
9位、添田博道
9位、粕谷修自
9位、杉本正彦
9位、小林修一
いやはやなんとも豪華メンバーでの2位だこと!凄いんだね~、これを肴に一緒に飲もうよネッ賢ちゃん。
CARLOSこと「奥村裕司」と知り合ったのは高校生の頃なのでかれこれ40年以上のお付き合いになる。当然知り合った頃は二人ともサーフィンを知らなかったのだが、次の年に私は東京の大学へ入り翌年にサーフィンと出会う、偶然にも前後してカルロスも伊良湖でサーフィンを始めるという不思議な巡り合いがあり、その後私が名古屋に戻った直後に彼が独立し、お互いの休日が同じということもあってほとんど一緒に行動していた時代があった。その頃から現在に至るまで一緒に大会に出ることも多く、年齢も近いことから意識してライバル関係になっている。但し通算成績では圧倒的に私優勢のはずだか彼は認めようとしない・・・。今回資料をチェックしていたら1984年10月7日に行われた第9回TSAサーフィンコンテストのリザルトが出てきたので公表してみます。
AⅣ
1.福井喜代博
2.浜田芳昭
3.内藤直樹
4.鈴木一也
5.藤田昌弘
6.日高正博
AⅢ
1.岡谷誠二
2.新美昌道
3.川井聖司
4.佐藤晃司
5.伊藤良一
6.三浦清史
AⅡ
1.武藤恒志
2.奥村裕司
3.山田マサユキ
4.大河
5.右坂正衛
6.水谷嘉男
AⅠ
1.横山勝久
2.森俊博
3.鈴木剛
4.早坂正
5.山口徳晃
6.楠敏昭
当時のクラス分けがどういう内容だったのか覚えていないが恐らく年齢ではなくレベルで分けていたのだろう。この時点でカルロスに勝って上のAⅢに上がったのかもしれないが記憶はない。AⅣ優勝の福井喜代博ことドガちゃんは全日本のファイナル常連で当時めちゃ迫力があった。今でも毎年マウンテンのパーティーで会う機会があるが最近では釣り一筋でサーフィンはまったくやっていないようで寂しい限り。AⅢ優勝の岡谷誠二は同じチームだったのでこれまた行動を共にしていたし、今でも現役で元気一杯のサーフィンを見せてくれる。他にも多くの懐かしい名前が見られる。 撮影 北村守
久我孝男に続いてBaliHighのライダーとなったのはJPSAのプロになったばかりで注目を浴びていた伊豆の鈴木康彦だった。契約したのは1985年となっているのできっとBalihigh Cupの直後だったのだろう。当時はまだ本人が未成年だった為に契約したのは亡くなったお父様、鈴木泰彦氏であった。現在鈴木康弘はJPSAのプロロングボーダーとして大活躍中である。
85’Balihigh Cupのパンフレット裏表紙なんだけど・・・
当時Balihighをやってた3人がここに入ってるのよね
帽子もってBalihigh売りにご挨拶中なのが私、もうハゲとるな!
サーフボードの横に立ってる背の高いのが近藤茂紀
そんでもってバーテンさんがカルロスのイメージなんよ
しかし・・・このお店の木枠ってそのまんま今のDA.CARLOSじゃんか!
まさに時代は繰り返す・・・そのものじゃーーー
70年代の資料を探しながら本棚のチェックしているとついつい横道にそれてしまい、80年代の雑誌に見入ったりしているうちに、85年・86年にロングビーチで開催した「Balihigh Cup」に記事を見つけました。もうそろそろ20年以上も経ち記憶の薄れる頃なので一度取り上げようと思い立ち、他にあった資料も探し出しました。残念ながら当時のポスターを見つけることは出来ませんでしたが、パンフレット始め貴重な資料が見つかりましたので2月に入り次第特集で取り上げていきます、お楽しみに。
先日柴田賢次を取り上げたGODDESSの写真で一緒に写っていた池田光孝さんから、ここで見たからと連絡を頂きました。まさにネットの威力ですね~。そんなわけで今回の主役は彼なんです、1981年のサーフィンライフ4月号に掲載された広告では左下のピックアップを運転しているのが柴田賢次、どういう訳か左目の上を怪我していたようです。そしてメインの二人は「ピーター・ローレンス」&「ミツタカ・イケダ」でした。さてご本人の感想が知りたいものです。
すでに訂正追加しましたが、「70年代のサーフショップ」を読んでくれた元プロの渡辺ナベちゃんから連絡を頂き、彼がお世話になっていた「パイナップル ジュース」が常滑に1977年オープンだったそうです。オーナーは鯉江正雄さん、残念ながら現在サーフィンからは離れてしまっているとの事です。情報ありがとうございました、皆さんからの情報をお待ちしております。
当時の写真はほとんどがロングビーチ、ロコや港の写真を探すのは難しかった。これはその珍しい「港」ポイントでの写真。残念ながら後に建物が無い為どの位置なのか特定はできない。しかし76年時点ですでにボルトのボードに乗っていたとは、ちょっと認識を改めないといけないかもしれない。
1976年のロングビーチ、駐車場の山側です。後にはEVINの車、メンバーも皆エビンチームです。上段左から、ヒロシ、兄さん、ヒチ、松っあん、下段左が清水。30年以上も前の写真なのに皆あまり今と変わっていないような気がするのは私だけ?
以前ロコポイントの貴重な写真をお借りした清水義博さんからは他にも多くの写真を頂いておりました。しかしそのほとんどが1973年以降のものであったため当初の「IRAKO CLASSIC」では取り上げることができませんでした。今回79年まで延びたので改めて貴重な写真を公開させて頂きます。今では写真に日付を入れるようになっていますが、このシステムが出来る前のこの頃は写真に現像された年度が入っているので時代の確定に役立って助かります。この写真は1975年のロングビーチ、まったく舗装されていない駐車場や低い堤防、それに山の上には綺麗な弥八ホテルが見えます。車は当時から定番だった「HIACE」ボードデザインも70年代ですね。
家庭用ビデオが一般的になるまではサーフィンの映像を見る方法はただ2つ、貴重なフィルムを使って8mmで撮影し、暗い部屋で楽しむか、各地を巡回してくるサーフィン映画を見るしかなかった。中でもサーフィン映画は当然内容も新鮮で画面も大きいので迫力があり毎回始まる前から大騒ぎだった。まあサーファーの乗りが良いのは今も昔も変わらない。名古屋では鶴舞の勤労会館が多かった。1976年、タイトルは不明だがEVIN主催の映画会に何とゲストで登場したのは「ジェリー・ロペス」「リノ・アベリラ」「ロリー・ラッセル」という大物3名、今じゃ考えられないことが当時は起こっていたのだ、これはその時のサイン。
私の記憶では「ミッシェル・ジュノンド」だったような、79年当時LOKOに滞在していたシェーパーで伊良湖にも顔を出していて、よく話していた、ディスコで酔った勢いか、ビッウエーブ用のボードを上げるよと言われたがそれっきりだよ。ターザンが元気で活躍してた頃のお話しです。
名古屋で一番最初のショップは今村さんのお店だと思う、会長はその直後かな、また初期の段階で湘南から来た香取さんが豊橋の愛大の前で「サビーネ」というショップを出していたが、残念ながら閉店も早かった。そして前出の「GODDESS」「LOKO」「EVIN」「BELLS」が良く広告にも顔を出し活躍していた。また見田くんが店長だった「WORLD SURF TAKI」もこの頃だ。そんな中サーフィンワールド1978年には豊橋から「ORENGESUNSHINE」が登場する。板倉トンボちゃんのお店でたしかメインボードはドミンゴだった、彼は今でも現役で海へ来ている。1979年には名古屋「KIKI」がBOLTの代理店として登場、当然メインはボルトだった、オーナーの沖民雄は残念ながら現在海から離れてしまった。また当時岐阜には岐阜GODDESSとLEG岐阜があったはず、また77年には常滑に「パイナップルジュース」もオープン。三河では「知多ラング」がこの頃だ。79年のポパイを見ると当時すでに
10軒程のサーフショップがあったとされているので他にご存知の方はぜひご一報を。
70年代後半に私が使っていたウエットスーツがこの「SESSION」でした。たしか工場が名古屋近郊だったはずで社長にも会ったことがあります。このカラーの部分が特徴的でなんて言ったら良いのかな、今のジャージとは違い、起毛という感じで特徴のある生地だった、ロゴも懐かしい。名古屋ではKIKIが取り扱っていました。
1978年の全日本では初めて15歳未満のボーイズクラスが誕生し、初代チャンピオンに久我孝男が輝いた。というか実はこの大会は千葉の部原で行われたがそれまでの波に恵まれなかった全日本を覆す最高のコンデションに恵まれ予選では3~4のパーフェクトウエーブ、決勝でも2~3のこれまたパーフェクトであった。しかしさすがに15歳以下の選手には厳しかったとみえてエントリーされた6名のうち結局海に入ったのは久我1人という状況でのまあ不戦勝であった。この大会では同時にプロも行われ、そこでの勝者だった添田博道がつぶやいた「おれが15の時はもっとホットだった」の一言は有名になったものだ。そしてこの後孝男は本当にホットに育っていき、数年後にはついに博道を追い越すことになった。
1977年に使われたGODDESSの一ページ広告には伊良湖から石塚義雄が登場する、真ん中は抱井。義雄くんが着ているウエットは当時まさに大流行したオレンジとイエローのツートンカラー。この色はたしかMRもバテンスも着ていたし、抱井もお似合いだった。今の地味なウエットからは想像もつかないが実は私もこの後SESSIONで同じ色を真似して作っていました。
たしか1978年頃のBOLTブームに乗り、ゴッデスからKIKIへ移る前の話し、ゴッデスのボードに乗りながらも気になっていたのが、COSMICとこのPIPELINEだった。特にPIPELINEはこの後博道がライダーになり坂本さんと二人でショップの前で撮った写真が気に入ってどうしてもボードが見たくなり、当時この2ブランドを扱っていたLOKOまでわざわざ見に行った記憶がある。当時の坂本さんはすでにオーラに包まれており、憧れというより遠巻きに見ているという感覚だった。その後の生き方もまさにサーファーそのものであり現在も八丈で健在だとか、この写真は当時の雰囲気が良く出ていてお気に入り。
1974年の第2回に引き続き、1977年9月に再び伊良湖で第4回西日本サーフィン選手権大会が開催された、その結果は。
1位 石塚義雄(名古屋)
2位 見田裕康(豊橋)
3位 田畑克彦(三重)
4位 阪野益治(名古屋)
5位 浜 国康(名古屋)
6位 村瀬勝宏(三重)
三重勢のワハ・エヘを押さえて名古屋勢の圧勝結果となっている、初登場の浜国康とは「パンダ」のことだ。写真は優勝の石塚(右)と2位の見田。
失礼しました、先ほど紹介した3軒に加え1976年のサーフィンワールドには「BELLS」の広告が掲載されていました。この「IRAKO CLASSIC」を書くにあたりBELLSの吉川くんからもぜひ70年代をと勧めてもらっていたのですが、なかなか取材の機会がなくてまだフランちゃんにはお会いしておりません、いずれインタビューしてBELLSの歴史にも触れたいと思っております。
1979年5月20日にロングビーチで行われた愛知支部予選結果
ジュニア
1、進 昭浩
2、高橋英二
メン
1、内藤直樹
2、杉浦 仁
3、角谷龍夫
4、松井輝夫
5、森 昇
6、加藤泰伸
シニア
1、角谷 晃
2、武藤恒志
3、鈴木光彦
当時の資料はなかなか見つからない中、70年代には珍しく残っていた。
1976年のサーフィンワールドに掲載された名古屋のサーフショップはわずかに3軒である。石塚義雄の「GODDESS」、阪野益治の「LOKO」、日比野健一の「EVIN」でった。「GODDESS」は当時既に「WaveLine」の名称も使っていたようだ。「EVIN」では弟のマーボーがモデルになっているが、後の2軒はオーナーがそのままモデルになっている。特にここではまるでマカロニウエスタンのような雰囲気で登場のターザンがまさに彼の雰囲気が伝わってきて懐かしい。また「LOKO」の広告に「伊良湖店有り」と書かれているのは今は閉店してしまったがロコポイントの東入り口にあった「赤羽根食堂」の敷地内にあったショップのこと。
1976年「ゴッデスインターナショナル」の広告、当時は名古屋と岐阜、それに赤羽根にゴッデスがあり、ロングビーチでは大多数がゴッデス&SAMURAIウエットスーツのサーファーで占められていた。現在でも活躍中の鈴木兄弟を初め、これを見るとジョージ藤沢や長沼一仁までがライダーであったことが判る。恥ずかしながら当時は私もゴッデスのボードにSAMURAIウエットスーツであったのです。
1976・77年頃のサーフィン雑誌を見ていると、サーフショップやウエットの広告にまじって8mm機器の大きな一面広告が目に付く。当時は当然ながらまだビデオは無く、サーフィンの映像を撮る手段は8mmカメラに限られていた。しかし当時特に望遠の付いた8mmは機械が高価である上にフィルムや現像も高く、しかも録画時間が短くてなかなか手が出せるようなものではなかった。当時8mmを持っていたのはまさに「お坊ちゃん」またはショップで、撮影のある日は興奮して大変だったし、現像が出来上がって映写する時も部屋を真っ暗にしてサーフミュージックをガンガンに掛け、興奮しながら見入ったものだった。今では小さなデジカメにさえ動画録画しかも望遠付きで簡単に撮れるようになりまさに8mmは夢・幻となってしまった。たしか8mmからビデオへの転換期でも8mmフィルムをビデオテープに移し変えるのが高額だった為になかなか出来ず、そのままにしておいてフィルムが劣化したものも多いはずだ。貴重な多くの映像がどこかに埋もれたまま消えていってしまう運命なのかもしれない。
1979年のSURFMAGAZINEに紹介された時のロコポイントと先端の写真です。当時と比べると特にこの2箇所の変貌の激しさに驚きます。ロコポイントでは堤防が延びた後横にまで伸びてしまい、昔のハードな面影はありません、まさかここに道の駅までが出来るとは誰が予想したでしょう。また先端には灯台へ向って遊歩道が作られ、海中には多くの消波用の石が入れられ、波質も激変してしまいました、しかし今でも東風が吹くと何処からともなむサーファーが集まり、普段会えないサーファー同士の同窓会のようになってしまいます、これもまた時代なのでしょう。
今でもサーフィンの雑誌に地方ポイントめぐりは欠かせないが、70年代後半の「SURFMAGAZINE」には「ランクルの旅」という人気企画があった。黄色に赤く書名の入ったランクルにプロサーファーとカメラマンが乗り地方に出かけ、その地のサーファーと共にポイント紹介をするというものだった。1979年4月号は、「ランクルの旅/伊良湖、ロコポイントにチューブを求めて」という素晴らしいタイトル。湘南から大野薫プロとカメラマンの芝田満之が来て、こちらでは当時豊橋にあった「WORLD SURF TAKI」の店長をしていた見田裕康が案内人となった。大磯から伊良湖へ移り住んで8年目の見田くんは当時独特なスタイルを持ったサーファーで非常に上手かった。このお店の前は赤羽根のGODDESSにいた時期もある。浜松経由で伊良湖へ入り、伊古部・高塚とチェックした後にロコポイントで入り、撮影された、真冬なので途中雪が降ったりもしたそうだ、しかし旧ロコポイントの堤防と真っ青な空をバックにした水中撮影の一枚はとても美しい。またこの中には見田くんの文章も掲載されているのでそのまま紹介する。
「GOOD BEACH AND GOOD FRIEND」 文:見田裕康
湘南から伊良湖に移って8年、当時はサーファーも少なく波もあり余っていました。下に紹介したポイントの他にも、高塚、サリマノ、赤羽根港など、渥美半島にはまだまだ多くのポイントがあります。私も、年中どこかしらでサーフィンしています。フルスーツはすり切れ、ベストは陽に焼け色あせる程に毎日波乗りをしてきました。その間に、私にはたくさんの友人ができました。最も身近な仲間を紹介しましょう。サンチャンこと杉浦茂義君。彼は、地元の最古参で、豊橋地区及び名古屋方面までも名前が知られています。ライディングはオーソドックス。コーラ屋さんの山本卓一君。彼も地元では古いサーファ
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